水俣病の確認から50年。戦後の日本が、その「発展」と引き替えに切り捨ててきたものは何だったのか。その体質は、果たして変わったのか。今回は、水俣病事件にも取り組む、哲学者の丸山徳次さんにお話をうかがった。
――なぜ水俣病事件に関わるように?
小学生のとき、NHKの『日本の素顔』という番組で、水俣病患者の映像が流されていたんです。
その映像は、私のような子どもの目にも焼き付いて、その理不尽さにふつふつとした怒りにも似た気持ちを覚えました。
その後、私は大学で哲学を学びますが、ずっと気になっていたのが、科学技術の負の側面でした。それが、私が哲学や倫理学を学ぶモチベーションになっていたと思います。
最初、私は水俣を日本における環境問題の事例として考えていたんです。しかし、取り組んでいるうちに、これは事例という発想ではダメだと気づきました。
水俣病事件は、いまだ何の解決もしていない問題です。いろんな出来事の塊で、この事件を通して、あらゆることが考えられる。
つまり、出来事からすべてを考えるという発想に転換したんです。それを私は「事件の哲学」と言っています。
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