幸か不幸か、娘は地域から離れた幼稚園に通っていたので、幼稚園時代からのママ友は小学校にはおらず、入学後、同じクラスで顔見知りになったママ友が何人かいるくらいだった。
それでも地元のスーパーでママ友に会うと決まって「娘ちゃん、どうしたの?」「大丈夫?」と聞いてくる。
心配してくれているようだが、私の心には響かない。
その「ウワサ話のネタにしますよ」的な表情に、意地でも娘のことは話すものかと、つくり笑顔で無言の応戦。世間体にとらわれ、娘のことは知られたくないのだ。
そして、逃げるようにその場を立ち去る。以後、買い物は校区外のスーパーに変え、ママ友と会わずにすむようにした。
また、気持ちをわかり合える友だちであっても「娘ちゃん、いつかは学校に行くわよ」という言葉は、私の心を逆なでした。
「あなたの子どもは学校へ行けているのに、不登校の娘と向き合っている私の気持ちなんてわかりっこないでしょ」と。完全に、ねたみだ。
頭で理解しても
小学6年生の夏の懇談会で、担任から「もう学校では打つ手がないから専門機関に相談したらどうか」と告げられた。
この言葉は、ナイフのように私の心に突き刺さり、落第生のレッテルを貼られたように感じて悲しくなった。
告げられた機関には、知り合いの臨床心理士がおり「あの人に、わが家の内情を知られるんだ」と思うと、知っている人には話したくないと、また私の「世間体」が頭をもたげる。
でも「娘のことを誰かに相談しないと、意見を聞いて、娘に合う方法を選ばないと……」とは思っていた。
昔聞いた話を思い出した。テレビに夢中になっている子どもを買い物に連れ出すには、「すぐに行くよ! テレビを消しなさい!」と言っても子どもはテレビから離れない。
けれども、玄関から「青い靴と緑のサンダル、どっちを履いていく?」と子どもがうれしくなる選択権を提示すると「青い靴!」と言いながら飛んでくる。選択権があれば子どもは行動を起こす、というのだ。
もしも「教室と保健室、どちらにする?」と聞いたら、娘は絶対にこう言うだろう。
「布団の中!」。
どうしていいのかわからなかったが、娘のことならわかっているんだなと、こんなに悲しい毎日なのに自分がおかしくなった。
このころ、学校からの1枚のプリントに鳥肌がたった。タイトルは、「不登校の児童生徒の家族を対象にしたセミナー」。
主催は、県教育委員会。学校に絶望を感じていたので、主催者にアレルギー反応を起こしそうになったが、背に腹は代えられぬ。知らない人ばかりなら行ってみようと、思いきって参加した。
当日、研修室は、お父さん、お母さんであふれていて、みな真剣に講師の話に聴きいっていた。
こんなにも多くの人が子どもの不登校で悩んでいるのだとわかり、わが家だけではない、私だけではないと妙にほっとした。
セミナーは年に1度の開催で、3年~4年、続けて参加したが不登校を否定する講師は1人もいなかった。
ここに参加して私は救われ、不登校は思っているほど特別なことではないのかもしれないと思えるようになっていった。
そして、不登校を選択した娘にも不登校は悪いことではないと知ってほしいと思い始めた。
将来について不安がないというと嘘になるが、とりあえず、娘が穏やかにすごせる方法を模索していこうと思っていた。(沢潟裕子)
【プロフィール】
著者略歴/(おもだか・ゆうこ)2人の子どもの母。第2子が小学生から不登校。子どもたちの成長や母親へのニーズに応じて勤務時間や勤務先を調整する。現在、2人は社会人で第1子は独立準備中。第2子は一人暮らし中。
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