8年前の1998年5月1日、本紙が誕生した。今とちがってブランケット版の6ページ。やっと創刊号が刷り上ってきた日のうれしさは忘れられない。
あのころは、新聞のつくり方もちがっていた。錦糸町の新聞の印刷所に行き、朝から、手に赤ペン持ってゲラを直し、4階と1階と階段を上ったり下ったりしてやりあげ、入稿後の満足感にちょっと解放気分を味わいながら暮れなずむ街を帰ってきたものだった。
印刷所には、ほかの新聞社もきていたが、おたがいしゃべっているスキはない。ただ「おたがいやってるな」という気配には支えられたかもしれない。
ふり返れば、月2回、1日と15日発行という約束は、おかげさまで、満8年、1回の欠号も遅延もなく守ることができた。
途中、いく度となく難しいことがあったけれど、こうして8年続けることができたということをしみじみ考える。なにより購読者のみなさん、支援会員のみなさんのおかげである。
そして、お金のない当社では、通信局、通信員をボランティアでひきうけてくださったみなさんや、手を真っ黒にして発送してくださった母親のみなさん、新聞を広報していただいたり、投稿してくださった全国の親の会や居場所の方々、子ども・若者の力も大きかった。
なにより直接的に新聞社の仕事を安い給料のなか、やり続けてきた職員、論説委員、そして、NPOの理事、監事、社員、取材をうけてくださったり、執筆してくださった方々……、まだまだ、たくさんの人の力がつながって、この新聞をつくり続けることができた。
関わってくださったすべてのみなさんにお礼を言いたい。
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