連載「子ども若者に関する精神医学の基礎」
前回、「ADHD」(注意欠陥多動性障害)診断の不確かさと危うさについてお話しました。
それは、「不注意」や「多動性」がどの程度なら病的とするか。その客観的な基準が存在しないことが原因でした。「注意力が持続しない」とか「じっとしていられない」とか、誰にでも起こる現象に正常と異常の境を引くことは、もともと不可能なのです。
ただし、診断基準にも、一つだけ客観的な箇所があります。それは、「2カ所以上の場面で生活に大きな支障をきたしている」という基準。重要なのは、「2カ所以上」という部分です。2カ所とは、たいていの人では「社会生活場面」(多くの人間に囲まれて生活する場)と「家庭生活場面」(ホっと一息つける場)です。子どもの場合、前者は学校、後者はそのまま家庭に置き換えていいでしょう。
家では落ち着き、 学校ではトラブル
しかし、この唯一客観的なはずの基準をないがしろにした診断が横行しています。近年、私のクリニックには「医療機関でADHDと診断された」という親子が再相談に来られますが、よく話を聞くと「家では落ち着いているのに、学校ではトラブル続き。迷惑ばかりかけて困っている」というケースが少なくありません。
もうおわかりですね。もし親の言う通りなら、その子を「ADHD」とは、診断できないはずです。ただ、現実には、親はあまり心配していないのに、教師から「この子はADHDだ」と受診を強要されたケースが、けっこう多いのです。
学校でのみ問題行動が出ているような場合、精神医学的には「ADHD」以外の何か別の原因による多動を疑って、子どもを多様な角度から診察するのが王道です。まず疑われるのは、当然、その子と学校との相性の問題が悪いのではないかという点です。つまり、教員は、受診を勧める前に自らの学級経営状態について、綿密に自己診断する必要があります。もし、問題を発見できなければ、誰かに再確認の診断をしてもらう必要もある。
このような最低限度の医学の常識を、児童精神科医は無視している。この理由を明らかにするために、「ADHD」の歴史を少しくわしく見ていく必要がありそうです。
「ADHD」はそもそも「微細脳障害」(MBD)という古い病名から枝分かれした診断名です。「MBD」とは、「Minimal Brain Damage」、つまり「小さな脳の傷」という意味。臨床検査では発見不可能なほど微細な脳の傷が原因で、子どもにいくつかの問題が起きる状態という意味です。
以下に、「MBD」の診断基準を列挙します。①多動、②運動がぎこちない、③感情が不安定、④運動のバランスが悪い・共調運動が苦手、⑤注意力の持続時間が短い、⑥衝動性がある、⑦記憶や認知の障害がある、⑧学習上の障害、⑨言語や聴覚の認知に障害がある、⑩ソフトな神経学的な所見がある、など。
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