熊野といえば熊野古道が知られているが、これはいわば「ひきこもりへの道」で、古くから人々が、修験道などで山にこもるために歩いてきた道だ。熊野三山のひとつ、熊野本宮大社の近く、紀伊半島のヘソのようなところで、今また、ひきこもり文化が花開こうとしている。
新宮市熊野川町にある「共育学舎」は、廃校となった小学校と農地を無償で借り受け、自給農家をしている三枝孝之さんが開いた不思議な場所だ。無償で宿泊と食事を提供し、全国から若者が集まってきている。それまでの自分の働き方に疑問を感じたり、ひきこもっていたり、農業に関心があったり、きっかけはさまざま。ついに移住した人も10人を超えた。何が、そんなにも人を惹きつけているのか。
三枝さんは「農業というのは自営で、つまりは自分の裁量で生きていけること」と話す。種をまけば作物は育ってくれる。収量を上げるために工夫もできるが、さほどがんばらなくても育ってくれる。自然の恵みであると同時に、自然は予期せぬことも起き(一昨年の水害で共育学舎も甚大な被害を受けている)、そのままならない自然を相手に、自分のできることをして生きていく。ひたすら換金するために、自分のペースを超えて自分や作物に無理をさせるのではなく、自分たちの食べるぶんを確保することを第一にして、あまったぶんは換金する。それ以上は目指さない。そして、無償の恵みを無償で提供し、無償の連鎖を生きている。そのつながりの豊かさ、深さに、人は安心するのだろう(実際、共育学舎では、よく眠れる)。
三枝さんは、現在、「ひきこもりスラム」を計画中だ。1000坪ほどの土地を確保し、誰でも小屋を自由に建てて住める。ひきこもり名人・勝山実さんも、共育学舎で小屋を制作中だ。
また、共育学舎を出た若者たちが、さまざまな活動を生み出している。
大学院でまちづくりの研究をしていた柴田哲弥さんは、1年ほど共育学舎に滞在し、現在は近くに別の廃校を借り受け、「山の学校」を準備している。いなか研修生や休学生の受けいれなど、若者が集まる場をつくり、そこから中央のための地域ではない、自立した地域づくりを目指している。京都のガケ書房と提携し、ブックカフェも始める。
大学生のときから共育学舎に滞在していた並河哲次さんは、現在、新宮市で市議会議員を務めるかたわら、「えんがわ」という古民家を開放した図書館を始めるなど、新しい活動を展開している。
また、『ニートの歩き方』の著者、Phaさんも、熊野でギークハウス(趣味や話題が合う人が集まるシェアハウス)を準備している。
さまざまな若者(若くない人もいる?)が、市場価値一辺倒の社会から撤退して、熊野の山のなかで、無償のつながりをベースにした豊かな場を、さまざまに広げている。熊野は、今また、ひきこもりの「聖地」になりつつある。(大阪通信局・山下耕平)
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