以前は、「不登校」を「登校拒否」といった時代があった。1984年、登校拒否の子どもと親たちで集まって、不登校についての悩みや不安、親子の関係、学校との関わりなど何でも話し合う場「登校拒否を考える会」を始めた。
1年半後、この会の協力で東京シューレが生まれ、6年後、全国ネットワークが誕生することになった。全国ネットの協力で、本紙『不登校新聞』も創刊となった。
今も「登校拒否を考える会」は続いている。私は、親の会があったことの意義は大きいと感じている。不登校を否定的に見る人が多い国のなかで、わが子が不登校という状態は、親にとっても受けとめにくく、孤立しがちだった。
読者コメント
sugiyamatd
一般公開 息子が中二で不登校になって、2年半経ちました。ようやく、動...