引き続き、精神科医の石川憲彦さんのお話を掲載する。最終回はADHDについて、薬物投与や医療のあり方などについて、うかがっている。
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――ADHDについては、どのような見方を?
ADHDに対しては、薬以外の話がないんですね。薬物投与によって、10人中4人くらいは、スッキリしたり集中できたりします。
だけど薬を飲まないと大変な状況になったり、薬を使うことで、じょじょにベースの部分がしんどくなってしまうこともある。
そもそも多動というのは、たいてい十数歳になれば、自然になくなるんですね。
しかも、薬を飲んでも効かない子のほうが多い。それでも、「だから薬はいらない」とはならず、次々とちがう薬を求めていっている。
リタリンは一種の覚醒剤ですから副作用の問題もありますし、そういう認識が広まってくれば、治療のあり方も変わってくると思います。
一方で、医学的な認識によって、親が「ああ私のせいじゃなかった、しつけのせいじゃなかった」とラクになるところまでは、医学というのは、わりといいわけです。
だけど、その後「あとは親が受けいれて、ほめてあげなさい」となると、これは、しんどい。
子どもへのしつけなんて、みんな変かもしれないでしょう。社会が変なんだから、大人も子どもも変だって仕方がない。
しつけが良かろうが悪かろうが、病気だろうが、飛び出したり暴れたりすることを、なんでそんなに敵視するのよと、社会に返していけばいいわけです。それを、個人が重荷を背負ってしまうと、しんどいですね。
――薬以外に発達障害に医療が果たせる役割は?
ないと思います。何を医療と言うかですが、いま医療で出ている発想は、遺伝子組み換えか細胞移植で、人間をつくりかえるという発想です。あきらかに医療は行きづまってます。
西洋医学というのは、急性の変化に対する技術はすごいですが、長期に人間におこってくる変化に対する研究はしたことがない。
薬なんてのは、すべて対症療法です。たとえば歯が痛くて仕事できないとか、そういうときに仕方なく使うものでしょう。
それだけに、誰の視点からみて薬を処方するかが大事ですね。当事者が必要として状況的に使うのか、まわりが行動を抑制するために処方するのか……。
――発達障害は、いまの社会のあり方とも関わっていると言えますか?
そうですね。たとえば多動について考えると、いまの社会では、決まったところで強制されたことをしないといけないわけです。
多動の子の場合、自分の興味のあることは何時間でもやっていたりする。ところが、それはいけないとなると、動く。
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