不登校新聞

508号 2019/6/15

不登校したら我慢できない子に? 忍耐力を身につける過程とは

2019年06月11日 12:09 by kito-shin

 私自身が小学生の子を持つ親になって、登校させることが親子に課せられた試練であるかのような感覚を初めて覚えました。

 乗り越えて然るべきもので、子どもを学校へ行かせることで初めて“家族”が社会の一員として認められるようなそんな感覚です。

 理解はしていたつもりでしたが、実感してしまうとやっぱり怖いです。そのような価値観から見ると、不登校は試練から逃げることであり、「本当にそれでいいの?」という圧力はわからなくもありません。

 「ふつうは学校なんて誰でも行ける。それなのに学校へ行けなくなってしまったら、将来、生きていけないのではないか。学校ぐらい行けないでどうする。ガマンが足りないのではないか」と。

 そこで、今回はそんな「不登校とガマン」について書いてみたいと思います。

 休むきっかけと思われるような出来事は、周囲の目から見ると本当にささいな「そんなことで休むのか」と思うような一場面かもしれません。だから、休むことに対して理解が得られないことも多いです。

子ども目線だと

 でも、保護者から相談を受けるなかで、子どもが学校を休むまでのようすを聞くと、本当によく学校生活をがんばってきたのだな、ということが伝わってきます。

 うまく手を抜く方法もいっぱいあったとは思うのですが、子どもは何事にも全力投球で、たくさんのことに耐えてきたのだろう、と。

 そう考えると、不登校は、逃げずに向き合い、耐えてがんばってきた結果なのであり、その子にとっては十分すぎるほどの「ガマン」を痛いほど経験し、学んできたのだと思います。

 それを子どもは見せないようにするし、言語化できないこともあります。それに心も体も耐えられず、身体症状や心が拒否しているという状況が出てきているのですから、それ以上のガマンは求めようがありません。

 そもそも、学校で強いられるそのようなガマンは、子どもの糧となる学びになっているのでしょうか。

学校の忍耐って

 自身の体験で恐縮ですが、私は高校生活の2年間の思い出が、ほぼありません。そこでの学校生活が本当につらくてたまらなかったのです。

 とくにつらいのが休み時間で、50分間おきにやってくるそのわずか10分が、とてつもなく長く恐ろしい時間でした。

 緊張ですべてのエネルギーが消費され、本を読むふりをしながら汗がにじみ出るのを感じていました。

 そんな状態ですから、休み時間に耐えるためのエネルギーを授業中に溜めなければなりません。授業中は寝ていたり、ぼーっとしたりする時間に当てられました。

 当然これでは勉強できるわけがありません。集中しようがないのです。体の内側から生じる抗いようのない拒絶反応と、それを耐えた先に何があるのかもわからない不安。今、覚えているのは当時の恐怖心だけです。
 
 忍耐力やガマンがいらないとは思っていません。でも、人は何かを目標にして、そこに向かう過程で、ガマンする機会があると私は思います。ガマンを学ぶのではなく、学びの過程に忍耐もあるのです。

 だから、まずは学びたいと思える気持ちと、そこに向かおうと思える力を蓄えるために、不登校というときを大事にすることに意味があると思います。(庄司証)


(しょうじ・あかし)80年生まれ。「函館圏フリースクール すまいる」代表。不登校・高認・進学支援にとり組んでいる。元大学非常勤講師。

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