9月28日~29日にかけて開催した『Fonte秋の親合宿』初日の講演「ひきこもり~親はいつまで待てばいいの?」の抄録を掲載する。講師は宇部フロンティア大学教授・臨床心理士の西村秀明さん。(こちらから動画でもご覧いただけます)
「癒える」ことが大事
「ひきこもり、親はいつまで待てばいいの?」とのテーマをいただいていますが、結論から言えば「答えはない」というのが私の考えです。
「待つ」とは、「何を待つのか」。えてして、親の期待通りに子どもが動き出すのを「待つ」というニュアンスで語られますが、ひきこもりを論じるうえで大切なことは、まずは「癒えること」であり、「動き出すこと」ではありません。当事者の多くは、学校で、社会で、また家庭内で傷ついています。
不登校・ひきこもり支援に関わって30年あまり、つねにこだわってきたのは「わからないことは子どもに聞く」ということです。
元気を取り戻した当事者に「何がきっかけだった?」と尋ねると、多くは「この自分でいいと思えるようになってから」だと答えます。
当事者はみな、他者から傷つけられるばかりでなく、「自分の人生は終わっている」と、自分で自分を責め続けています。そのなかで、「自分もなかなか素敵じゃないか」と思えるようになることは、「癒える」というプロセスのなかで「自己肯定感」を取り戻していくことであり、周囲はそこをどう支えるか、ということが大切です。
人間は「〇〇である」と言われ続けると、そう信じ込んでしまう生き物です。心理学では「投影性同一視」、社会学では「ラベリング理論」など、学術的にも説明がつく。
早い話、「お前はダメだ」と言われ(見なされ)続けている当事者が「いや、僕は大丈夫だよ」とはならない、ということです。前置きが長くなりましたが、今日は私が関わってきたひきこもり当事者の事例から、了解を得ているものにかぎって紹介したいと思います。答えはなくとも多くの示唆に富んでいると思います。
親にできることおいしいご飯を
Aさん(男性)は1年半ほど自室にひきこもっていました。風呂にも入らず、布団は敷きっぱなしの生活。食事は毎回、母親が自室の前まで運んでいました。
ある日、痛みを訴え、自室から飛び出してきました。肺気胸でした。緊急入院することになり、両親はホッとしたそうです。これでやっと、ひきこもりから解放されるかも、と。ところが退院後、彼はまた自室にひきこもってしまいます。
転機は1枚のハガキでした。入院中にお見舞いに来た友人からで「ひきこもってヒマなら、ある活動を手伝ってくれないか」とのこと。その日から彼はボランティアを始めます。理由はシンプルで、友人といっしょに来ていた一人の女性に一目ぼれしてたんですね。
それからというもの、彼はその女性とお付き合いを始め、就職もしました。めでたく結婚する運びとなり、迎えた結婚式。式の最後、彼は両親にこう述べたそうです。「僕がひきこもっていたあいだ、そっとしておいてくれてありがとう」と。
両親が「何を待たれた」のかはわかりませんが、「親にできることは、息子はおいしく食べてくれるだろうかと、いつも考えてご飯をつくってあげることだけだった」という一言を聞いたとき、そのことが彼にとってどれだけ大きな意味を持っていたのか、と考えさせられました。
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