不登校新聞

523号 2020/2/1

初登園から3カ月後、幼稚園を辞めることにしました

2020年04月16日 13:33 by kito-shin

連載「わが家が目指したのはHSCの安心基地」vol.14

 笑顔や覇気が消え、幼稚園から心が離れて登園しなくなった息子のたけるにとって、どのような選択が最善であるか。

 親も子も、それはもうわかっていて、それでも何度もおたがいの意志を確認し合い、そしてその意志は一致して変わらないことを確認しました。

 幼稚園を辞めよう。そして、その後の小学校という、誰もが通らなければならないと思っていた道から外れる選択をしよう。

 自分たちで選んだ生き方に、自分たちで責任を持って生きて行こう。

 家族で、そう決断したのでした。

 担任の先生と園長先生(小学校校長の兼任者)に、幼稚園を辞める決断と、その経緯について、手紙に記しました。

 幼稚園にさよならする日。校長先生との面談で、今後の関わりについて、細かいところまで決めました。小学校には入学しないといっても、籍だけは置かれるからです。

 名簿、ロッカー、机、行事のお知らせ、プリント、テスト、身体測定など、すべてを必要としません。

 ただし、教科書だけはかならず配布されるため、年に2回だけは、面談を兼ねて、たけるといっしょに校長室を訪れることとしました。

 面談が終わり、残した荷物を取りに、園舎へ向かいました。

 にぎやかなセミの鳴き声とともに、園舎から子どもたちの声が聴こえます。

幼稚園では

何だか懐かしくさえ感じます……。当時から今までの記憶が走馬灯のように蘇ってきました。

 10か月前の9月、入園を意識し始めて見学に来た園舎。「過保護」だと思われるのが嫌だという怖れをふり切って、無我夢中でたけるの背中をさすり続けた入園式。

 たけるは少しずつ、自分の方法とペースを尊重してもらいながら、先生に信頼を寄せるようになった園生活。園の生活にも慣れ、とても楽しくなって進んだママ離れ。

 たけるが一気に元気をなくし、笑顔が戻らなくなった運動会。それでも運動会は、心身のすこやかな成長につながることと、そうではないことがある、とわかる契機になりました。

 たけるの育ちは、ふつうとちがっても大丈夫。たけるに笑顔が戻らないときは、笑顔になれるちがう道を探して、自分たちらしく生きて行こう! というサインなんだということもわかりました。

 親子でお別れのあいさつに向かいました。園児のみんなへの説明は、私からさせてもらいました。

 できるかぎり、お友だちのダメージにならないようにと、慎重に言葉を選んで。みんな真剣に聞いてくれていました。

 質問はありますか?という私からの問いに対し、「幼稚園で何が楽しかった?」と聞く女の子。「(おうちや滑り台がつくれる大型の)ブロックを組み立てて、ごっこ遊びをしたこと」と答えたたける。

 たけるが辞めることよりも、本当になかよく楽しくすごしたときがあったことをたしかめるようなやりとりに、胸が熱くなりました。

 そして、さよならのとき、たけるもみんなも何度も何度も大きな声で、「バイバーイ、バイバーイ」と笑顔で手を振り合いました。

 車に乗って、動き出して、おたがいが見えなくなるまでずっと。

 ありがとう、さようなら、幼稚園。ただいま、おうち。(文・絵 斎藤暁子)

■著者略歴/(さいとう・あきこ)『HSC子育てラボ』代表。心理カウンセラー。息子たける(9歳)と精神科医の夫は、ともに敏感・繊細気質。著書に『HSCを守りたい』(風鳴舎)など。HSCとは/「Highly Sensitive Child」の頭文字を取った「HSC」は、心理学者エレイン・N・アーロン氏により提唱された概念。「ひといちばい敏感な子」などと訳されている。HSCは障害や病気の名前ではなく、生まれもっての気質。

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