今回のテーマは「不登校の理由や学校であったことを『なぜ親に言えないのか』」です。
不登校の子がいる父親の方から、次のような相談をいただきました。
「不登校の理由や学校であったイヤなこと、そういうことを子どもは『言いづらい』と聞きました。でも、私たちは家族です。苦しいことは言葉にしてくれなければ助けられません。苦しくても、助かるためには声を出さないといけないし、ましてや『言えないこと』を肯定してはいけない気がしています」。
同じように「言わないとわからない」と相談される方は少なくありません。
まず考えたいのは、不登校には「説明責任」が生じる、という暗黙のルールがあるのはなぜか、ということです。
命の危険性があるならそのかぎりではありませんが、その場合は「不登校」の枠からは外れると思います。
なぜ理由は言いづらい?
そもそも不登校以前に、子どもには、「子どもの権利条約」の12条や16条にあるように、言うか言わないかの権利があり、それが尊重されるべきです。
それを踏まえたうえで、「言いづらい」を考えてみると、「うまく思いを言語化できないパターン」と「説得力を持った説明ができない不安があるパターン」に大別されます。
「うまく言語化できない」というのは、自分が感じたことを自分が知る言葉では表現しきれない、という意味です。
子どもが思いを語るときは、とてもシンプルな場合が多いです。
「みんながうるさくてムカつく」。
「先生が好きじゃない」。
「なんか調子悪い」。
こんな言葉を、親がどう受けとるかわからない不安を子どもたちは持っているのではないかと思います。
こう考えると、子どもが口をつぐむのもまた一つの「回答」ではないでしょうか。
いずれにしても、子どもに思いを伝えてもらえる関係性を自分は築くことができたのかは、冷静に考える必要があります。
ふだんから仲がよくても、子どもには話したくないこともあれば、話すべきか悩むこともあります。
冒頭の相談で言えば、単純に「父親」に言うことは難しいだろうな、とも思います。男性であることや立場の問題です。権威的であれば、当然、子どもが気楽に話す関係にはなりにくいです。
さらに、子どもが思春期であれば、いわゆる反抗期に見られる反発から親と距離をとってしまうこともあります。
親としてしっかり子どもに対峙して、もらった答えを全力で返してあげたいという思いは、子どもにとってときに重いものです。
同様のパターンは、男性の先生でもあります。熱心な先生で、なんとかして学校復帰をさせたいという思いから、不登校の原因を探ろうとしても、子どもとのあいだにギャップが生じて関係がこじれてしまうといったことです。
このように書いている私自身も年齢を重ね、フリースペースで子どもといっしょにすごすことに難しさを感じるようになりました。
親子ほどの年齢差になると、もはや学生スタッフのような優しいお兄さんにはなれず、子どもに気を許してもらうには長い時間が必要です。
あらためて、子どもになんでも思いを話してもらうのはかんたんではないと痛感しています。(庄司証)
【プロフィール】
(しょうじ・あかし)80年生まれ。「函館圏フリースクール すまいる」代表。不登校・高認・進学支援にとり組んでいる。元大学非常勤講師。
読者コメント
匿名
読者のみ こどもからの「学校に行けない(行きたくない)」の表現は言葉...