不登校新聞

526号 2020/3/15

学級委員だった僕が不登校になったのは「宿題が終わらない」でした

2022年07月22日 09:54 by motegiryoga
2022年07月22日 09:54 by motegiryoga

 不登校経験者・丸山遥暉(はるき)さんにお話をうかがった。丸山さんは2度の不登校を経験後、現在は大学で心理学を学んでいる。不登校中つらかったことや転機になったことなど、話していただいた。

* * *

――不登校の経緯から聞かせてください。

 僕が不登校になったのは中学3年生の秋、修学旅行明けからでした。でも、修学旅行がつらかったのではありません。むしろ楽しかったんです。問題はその後でした。僕が通っていた中学校は、県立の中高一貫校で、そこそこの進学校でした。毎週末、宿題が出され、週明けに提出するのが決まりでした。そして、修学旅行はほぼ1週間かけて行なわれたので、帰宅後には旅行の前の週と合わせて2週分の宿題を、まとめて提出することになっていましたしかし僕は大量の宿題が終わらず、旅行明けの月曜日は「体調が悪い」と親にウソをついて、学校を休みました。

 もちろんその日のうちに宿題を終わらせ、火曜から登校するつもりでした。ですが結局、終えることができず、その日から学校へ行けなくなったんです。

終わらない宿題

 火曜日に休んでもまだ宿題が終わらず、さらに水曜、木曜も休むようになってしまいました。「宿題、できませんでした!」と正直に先生に言えばよかったんですが、そんな勇気はとてもありませんでした。僕はそれまで、勉強はそこそこできるほうで成績もよく、学級委員でもありました。そんな僕が宿題をやってないことがわかれば、クラスメイトや先生からどう思われるか怖かったのです。それに、完璧主義でもあった僕は「宿題はやるべきもの」「サボるのは悪いこと」という思いがあったので、自分でつくり出したプレッシャーに苦しみました。休めば休むほど、どんどん罪が重くなっていくようでした。

 結局、それからは午後のみ登校するなどしていましたが、ふつうのクラスメイトと同じように学校生活を送ることはできないまま、中学校を卒業しました。高校は、一貫校なので持ち上がりで進学しました。その際「高校はちゃんと行こう」と、気持ちを切り替えて春休みをすごしました。朝、きちんと起きて、勉強もして、高校生活に備えていたんです。その結果、入学時のテストではトップクラスの成績をとることもできました。しかし、高校1年生のゴールデンウイーク明け、僕はまた不登校になってしまったのです。理由はまたもや宿題でした。高校では授業のレベルがさらに上がり、週末の大量の宿題に加えて、毎日の予習・復習が必要でした。夜に勉強しても課題が終わらず、朝、学校に来てから仕上げの丸つけをするなど、なんとか、がんばっていたのですが、1カ月で限界になってしまいました。この2度目の不登校は、まさにどん底に突き落とされたような気持ちになりました。しっかり学校に戻る準備をして、いいスタートを切れたはずが、またドロップアウトしてしまった。

 「僕は本当にダメな、何もできない人間だ」と自分を責め、絶望していました。

――つらかったですね。

 はい。何よりつらかったのは、「話す相手がいなかった」ということです。これまで、僕が一番信頼していたのは、学校のスクールカウンセラーでした。しかし、学校へ行けないので、スクールカウンセラーと会うことはできません。誰にも話せないまま、ひたすら部屋にこもることしかできませんでした。

母親の覗き見が本当にイヤで

 両親を信頼することもできませんでした。両親は僕が高校へ戻れるように、朝起こしに来たり、ようすをうかがいに部屋に来ました。とくに母が洗濯物を干す際に、ベランダ越しにある僕の部屋をうかがうのが本当にイヤで、一時期は机や重いものでバリケードをつくったこともあります。つらい気持ちを抱えていた僕は、思いのたけをすべて日記にぶつけることにしました。5月から11月ごろまで、ほぼ毎日、何度も書いていました。それだけ苦しかったんだと思います。僕にとってはこの日記だけが自分の気持ちを正直に出せる場所でした。11月ごろから日記に変わって自分の居場所になったものは、ゲームでした。起きているあいだはひたすらスマホでゲームをしていました。僕がしていたゲームはほかのプレイヤーとチャットなどで交流できるものでした。ゲームを通じて、やっと人と話すことができたんです。当時の僕は「死」まで考えそうになる気持ちを、ゲームをすることでギリギリ保っていたんだと思います。

――その後は。

 親のすすめで、なかばムリヤリ通信制高校に転入しました。高校1年の3月のことです。僕は転入後も学校へ行く気はなかったんですが、中卒や中退のまま生きていくのも正直、怖かったので「しょうがないか」と、とりあえず籍だけ置くことにしました。その通信制高校は通学のほかに、家庭教師が来てくれるコースもありました。僕は週に1回2時間の家庭教師との勉強と、月に1回のカウンセリング、あとはひたすらゲームをする生活を続けました。どん底まで落ち込んだ気持ちが上昇することはなく、ずっと深い沼のなかをさまよっているような日々がすぎていきました。

転機は宿泊合宿、味わえた“青春”

 ですが、転機になることがあったんです。それは高校3年生の春でした。通信制高校の宿泊行事に参加したのですが、それが本当に楽しかったんです。かなり険しい山登りをしたのですが、頂上についたときにはなんとも言えない達成感がありました。それに、他校舎の生徒といっしょに料理をしたり、いろいろな話をして仲よくなったのがうれしくて。「これが青春ってやつなのかな。やっぱり人と話すのって楽しいな」と思えたんです。そして、もっとたくさんの人と話したり仲よくなったりするために、「学校へ行ってみよう」と思うようになりました。だからそのために、ゲームの時間を減らしました。ゲームの楽しさより、友だちと話す楽しさのほうが勝ったんです。

――不登校からいきなり宿泊行事への参加は、ハードルが高くなかったですか?

 はい。僕も、最初は参加するつもりはありませんでした。しかし、担当の先生に「行けばぜったい変わるよ!」と猛烈にすすめられたんです。そんなことをされても、いつもなら「ウザいなあ」と思うだけなんですが、あのときの僕は、不思議と「じゃあ行ってみようかな」と思えたんです。なぜなのか、今でもわからないんですが、何かが変わる「タイミング」だったのかな、と。ただこれはかなり特殊な例だと思うので、あまり参考にしないでください(笑)。高校へ行けるようになったので、次は大学に行くために受験勉強を始めようと思いました。不登校だったときにスクールカウンセラーにとても救われたので、自分もカウンセラーになるために、大学で心理学を勉強したいと思ったんです。そこで大学受験にチャレンジし、AO入試という制度で東京の大学に合格し、現在1年生です。今は大学の勉強をしながら不登校経験者の集まる会に参加したり、ブログやツイッターで自分の思いを発信しています。毎日楽しくて充実していますよ。

たくさんの人に支えられて

――自分の不登校を今振り返ってどう思いますか。

 本当につらかったですけど、かけがえのない経験であったのはまちがいないですね。不登校になってなかったら、会えなかったであろう人もたくさんいますし。そういう人に支えられたから今の僕があるんだと思います。それから、不登校をしたことで自分の考え方が広がったな、と思います。僕は学校のつらさも楽しさも、両方経験しました。不登校になったからといって、その前の「楽しかった学校」のイメージは消えませんでした。だから学校のやっていることを全否定はできないんです。これって、ずっと学校が楽しかった人からも、ずっと学校が苦しかった人からも出てこない考えじゃないですか。そういう意味で、自分なりの視点を持つことができました。でも、これらはあくまで「今だから言えること」であって、現在、苦しんでいる不登校の子に対して「絶対よくなるよ」なんて口が裂けても言えません。僕が言えることがあるとしたら、「話を聞きたいな」ということです。もちろん、つらい気持ちなんて、話したいと思える人にしか話したくないですよね。だから、もし僕を選んでもらえるのであれば、ですけど。僕は「人に話すこと」で気持ちが落ち着いてきました。だから今度は僕が苦しんでいる人の話を聞きたいです。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳、撮影・矢部朱希子)

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