不登校新聞

529号 2020/5/1

当事者から見た9月1日関連報道、「休んでいいよ」は救いになるか

2020年04月30日 10:28 by kito-shin
2020年04月30日 10:28 by kito-shin

 新型コロナウイルスの影響により、長期の休校が続いています。そして9月1日などの長期休み明けには若者の自殺が多いことがわかっています。

 そのため、毎年夏には「学校を休んでもいいんだよ」、「死なないで」というメッセージが著名人からも出され、報道もされるようになりました。

 こうした報道やメッセージなどに励まされる人もいる一方、「なんかイヤだな」と感じる方も多いかもしれません。

 そこで、「9月1日の『不登校大丈夫だよ』報道」でうれしかったこと・イヤだったこと」と題して、不登校経験者に意見をつのってみました。

 不登校の当事者の側から見た、9月1日関連報道への賛同や違和感をお伝えできればさいわいです。(東京編集局・茂手木涼岳)

* * *

理想と現実は
 
 報道で、「学校へ行かなくても大丈夫」とかたくさん言ってくれているのはうれしいです。

 でも、実際には、学校の先生からは「来れそう?」と聞かれます。やはり、つらいです。

 「つらいなら学校へ行かなくても大丈夫」というメッセージが、報道だけではなく、もっといろんなところに浸透してくれればいいなと思いました。(たくま・17歳)

偽善者発言?

 自分が不登校だったときにこのような報道があったら、捉え方はちがったかもしれないですが、今の私にとっては「学校へ行かなくてもいいよ」は偽善者の発言に聞こえます。

 まわりの風潮にあわせて自分も「行かなくていい」と言ってるだけ、みたいな。

 「逃げてもいい」とかんたんに言うけど、おこづかいで生きている小中学生はどこに逃げればいいのですか?図書館?保健室?そういうところが逃げ場になっても、根本的な解決にはならない気がします。

 しかも地方在住の私に言わせれば、田舎は逃げ場がほぼ家で、公園とかに行こうものなら近所の人に不審がられてしまうんです。

 そもそも逃げ場がないのに、「逃げていいよ」と言う神経にイラッとします。

 でも、私の大好きなバンド「RADWIMPS」のボーカル、野田洋次郎さんが9月1日に関してインタビューに答えていて、それを読めたのはすごくうれしかったです。(ゆず・19歳)

3つあります

 うれしかったことは3つあります。
 
 1つ目は私以外にも学校が苦しい子がいることをあらためて認識して、孤独感が薄れたこと。

 2つ目は有名な方が発信してくれることで、不登校についての認識を多くの人に持ってもらえること。

 3つ目は有名な方のお話などを読んで「大丈夫」と一瞬は思えることです。

 イヤだったことも3つあります。

 1つ目は「やっぱり有名な方のようにはなれない」と、落ち込んでしまうこと。

 2つ目は「学校に行かないのは甘えではない」と言われれば言われるほど、甘えている気が当時はしてしまったこと。

 3つ目は「不登校はパワーを充電しているとき」というような報道は、「また動かなきゃ」と気持ちが追い詰められて、しんどかったことです。(矢陽有莉(やぴ ゆうり)・16歳)

言葉の模索を

 「無理しないでいいよ」と伝えることで、不登校をただのサボりとしてとらえず、若い子たちが生き続けていけるようにしているのはいいなと思う。

 ただ、正直、不登校を肯定しすぎている気がする。私は不登校は子どもにおすすめしていいものだとは思えない。

 みんながそうではないけれど、私の場合は、授業に出ないから勉強についていけない、人と関わる時間が少なく人間関係で苦労する、運動する機会が減り体力が下がる、とマイナスなこともたくさんあった。

 私は不登校になって「人生が終わった」と思い、親に「死にたい」と言ったら泣きながら殴られ、「私は死を選ぶ権利もないんだ」と、とてもつらい時間をすごした。

 つい最近、知人に不登校時代のことを話したら「同じ学校に通っていたら、守ってあげられたのにな」と言われた。

 そんな反応は初めてだった。そのとき、当時の私は「死なないで」と言ってほしかったんじゃなくて、自分が「存在していていいんだよ」と認めてもらいたかったんだなと思った。

 自分なんていなくても学校は成り立つし、親だって手がかかる子どもはいないほうがいいだろうと、自分で自分のことを認めてあげられなかった。

 でも「あなたはここにいていいんだよ」という安心感がほしかった。人によって救われる言葉というのはちがうと思う。

 「逃げてもいい」「死なないで」だけをキーワードにせず、いろんな言葉を使って模索し、悩んでいる子たちの心が少しでも救われる報道が増えればいいなと思う。(ひな・25歳)

中身しだい

 うれしいかどうかは、言葉の中身しだいです。「不登校でも大丈夫、死なないで」と言われても不登校していたころの僕なら「どうして?」と理由を聞きたくなったと思います。

 当時はお先真っ暗だと思っていたからです。大丈夫な理由を知っているなら教えてほしいくらいでした。

 根拠のない気休めはいりません。僕がほしかったのは、不登校だったけれど、いまは幸せに生きている身近な先輩の存在でした。

 「身近な」というところが大切なのです。有名人に「不登校を克服しました」と言われても、なんだかすごすぎて参考にならないからです。 

 名もない一般人が不登校になり、どのように悩み、どのように生きてきたのか、リアルな声がともなわなければ、「不登校でも大丈夫、死なないで」という言葉は、聞こえはいいが、まるで中身がない、からっぽのきれいな箱のような言葉だと思います。

 つまり、中身のある「大丈夫」ならうれしいし、中身のない薄っぺらな「大丈夫」なら嫌いです。(まっちー・30代)

正直に言うと

 とくに有名人のような声の大きい人が「不登校でも大丈夫だよ」と言ってもらえることは、個人的には助けになりました。

 私は「行かなきゃ行かなきゃ」って思ってたので、「こういうことを言ってくれる人がいるんだ」って思えましたから。

 でも正直に言うと、本当につらい時期は「不登校、大丈夫だよ記事」を目にいれることすら苦しかったです。

 自分のつらさに目を向ける余裕がまだなくて、ただ「逃げたい」と思っているときには、どんな内容であれ、不登校の話は聞きたくないです。(あおい・14歳)

吐き気さえも

 報道番組やドキュメント番組は、はじめは中川翔子さんや『不登校新聞』の石井編集長など、「知ってる人が出る!」と思って番組をチェックしていました。

 でも、見ているうちに自分の不登校時代のことを鮮明に思い出して、つらい気持ちになり、ときには吐き気さえもよおすような状態になってしまって、それ以来見るのを避けています。

 個人的には、元不登校の有名人の言葉は昔からまったくなんの力にもならないと感じています。だって私とその人では住むステージがちがいすぎているから。

 そんな人に「大丈夫」言われても、説得力がありません。これから9月1日付近はテレビ・新聞・ラジオなどから離れようと思ってます。(Y・Y ・33歳)



その後の人生

 うれしかったことは、「私以外にも悩んでる人はいる」ということが知られること。それから著名人が不登校を肯定する発言をすると、親が静かになることです。

 しかし他方で、有名人や、不登校を経て前向きに生きている人の発言を聞いてつらくなることがありました。

 私はいまだ自分の不登校や、今の生き方を肯定的に捉えることができません。前向きな発言を聞くと、「じゃあ私の、不登校がきっかけで後ろ向きになってしまった人生はどうしてくれるの?」と孤立した気持ちになってしまうのです。

 たぶん、私の苦しみは「不登校その後の人生が描けない」ということから来るのです。

 だから、ただ「大丈夫だよ」と言うのではなく、不登校後の人生を描いてくれたり、「その後」にいっしょに付き合ってくれる人を求めていたんだと思います。

 報道で不登校をあつかうときは、「不登校の苦しみから少しでも楽にしてあげたい」ということを、報道をあつかう側がしっかり思うこと、またそう思っている人はたくさんいるんだよ、ということをしっかり伝えることが大事なんだと思います。(航平・28歳)

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