不登校新聞

529号 2020/5/1

葬式代を稼いで死のう、絶望の中で生き抜く15歳の今

2020年04月30日 12:50 by kito-shin

 中学1年生の冬から不登校中のあおいさん(15歳)にお話をうかがった。「自分で自分を肯定することができない」という、あおいさんの心の遍歴を話していただいた。

* * *

――あおいさんが不登校を通じて、もっとも苦しかったことはなんですか。

 私は不登校になった理由として「これ」という明確なものがないんです。

 いじめられていたわけでもないし、親とトラブルになったわけでもありません。ただ、学校へ行くのがつらくなってしまったんです。

 だから、不登校状態になっているにもかかわらず、「私には不登校になる資格がない」と思ってしまい、今も自分を認められずに責め続けてしまうこと、これが一番つらいことです。

 不登校になったのは、中学生のときです。自宅から遠い私立中学に進学したことで、毎日、満員電車に乗っての通学でした。

 私は2次元やアイドルが好きなので、必然的にオタクグループと付き合うことになりました。

 小学校では八方美人にふるまって疲れてしまった私にとって、心から好きな話ができるグループは最高でした。同じ趣味の友だちもできました。

 ずっとその子たちと楽しくやれていればよかったんですが、そううまくはいきませんでした。

ネチネチと陰口を言われ

――何があったんですか。

 上のカーストの子たちからの、ネチネチした攻撃です。「あの子、いい顔してるよね」「がんばっちゃって、イタくない?」などの、陰口やうわさ話をされるようになりました。

 学校全体の雰囲気が体育会系で「陽キャ」(明るい子、リア充)が多くて、私とは合わなかったです。

 また、私と同じグループにいた仲のよかった子が「〇〇さんがあおいちゃんのこと、あんなふうに言ってたよ」と私に教えてくれるのですが、それがつらかったです。

 その子はよかれと思って、私のためにいろいろ教えてくれていたのでしょうが、私は根っからの「嫌われたくない」性格。

 そんな情報、聞きたくなかったんですね。こうした陰口やうわさ話といった女子特有の人間関係がイヤになってしまって、学校へ行きたくなくなっていきました。

 もうひとつイヤだったことは部活動です。私は吹奏楽が好きで小学校からやっていたので、中学でも吹奏楽部に所属しました。

 しかし吹奏楽部というのは「文科系のなかでも一番、体育会系的な部活」なんです。年功序列が強く、練習は週7日、毎日ありました。

 部活内には陰口やハブリ(仲間外れにすること)が横行していました。練習にまじめに取り組む子が不まじめな子の陰口を言ったり、演奏が下手な人が上手な人を妬んだり、人間関係の渦が濃かったです。

 私も、ある仲よしの子がハブられたときに、傍観者として見て見ぬふりをしてしまったことがあります。その子は練習をサボりがちだったので、「多少言われてもしょうがないじゃん」と。

 こうしたクラスや部活での人間関係は、疲れるし、恐怖でした。誰かが誰かの陰口を言っているということは、私も陰で何か言われているにちがいない。とても仲のいい友だちでも、心から信頼することはできない。

 そうしたストレスから私は徐々に体調を崩すようになりました。学校を休んだ次の日、クラスメートから「どうせ仮病なんだろ」と言われたことがあり、ものすごくショックでした。

 そして学校を休むたびに、「ああ休んじゃった、これでまた何か言われたらどうしよう」と恐怖が大きくなっていく、という負の連鎖でした。

親には素直な気持ちを言えず

――そのつらさを親には話しましたか。

 最初に親に「学校行きたくない」と言ったのは、夏休みの最後の日でした。

 はっきりとは言えず「明日、あまり行きたくないかも知れない」「なんとなく、行くのイヤかも」みたいなあいまいな言い方だったと思います。

 それでも母は「いいよ。休みたいなら休めば」と、認めてくれたんです。

 しかし始業式当日には「休んだらまたクラスメートに何か言われる」という恐怖から、休むことができず、そのままずっと通い続けました。そうした無理がたたって、私はどんどん疲れていきました。

 そして迎えた冬休みの最後の日、私はついに「行きたくない」と言って泣きました。母はそのときも私を認めてくれました。

 しかも「行かなくてもいいよ」ではなく「今のあなたは見すごせない。行かないほうがいい」と、強い口調で行かないことを後押ししてくれたんです。そのおかげで、パッタリ不登校になりました。母には本当に感謝しています。

 それで家で休んでラクになれればよかったんですが、やっぱり自分の罪悪感が、「行かない自分」を許してくれなかったです。

 「行かなかったら何か言われる。それはイヤだ。だから行きたくないけど行かなきゃ、でも、もうこれ以上は無理だ」という思いが頭のなかをグルグルしていました。

 学校につらい思い出があったり、イジメや、先生にひどいことを言われていたら「あんなトコ、行ってやらねえよ」と思っていたはずです。

 ですが、友だちもいたし、親も認めてくれてたし、恵まれていたほうだと思っていました。だから、こんな自分が学校へ行っていないのは甘えなんじゃないか、と。「どうせ仮病だろ?」と言われたのも心に残っていました。

 実際に、命にかかわるケガや病気をしたわけでもない。気持ちは落ち込んで、死にたくなってるけど、もっとつらい人はたくさんいる。

 だから、「私は、不登校になる資格がないんだ」となってしまうんです。

――ご両親があおいさんの気持ちを尊重していても、自分で自分を認めることができなかったのですね。

 はい。どうしてもできませんでした。親やまわりの人が「すごいよ」とか「大丈夫だよ」と言ってくれても、自分が自分を認めていないから、ぜんぶウソやお世辞に聞こえてしまうんです。

 自分で自分をすごいと思わないと、何も入ってこない。そうやって、たくさんのほめ言葉を逃してきたんだろうなと思います。

 中学1年、つまり昨年の1月に不登校になって、ずっと苦しくて死にたいとも思っていました。

 しかし、3月に自分の好きなアーティストのライブチケットが取れたから、それまでは生きよう、と。

 みんなが学校へ行っているときに、私がライブへ行っていいのかと思いましたが、「どうせこれで最後だから好きなことしよう」と。

 でも、そのライブがすごく楽しかったんです。アーティストの方は「つらくても俺がいるから、みんながいるから、ライブに来てよ」とステージで言ってくれました。

 漠然と、もう少しだけ、生きようと思いました。

いつのまにか生きていた

 そして、次は誕生日の4月27日に死のうと思いました。スマホに誕生日までのカウントダウンアプリまで入れて。

 ここでも「どうせ最後だから」と貯金をパーっと使って、やりたいことをやって。そうしているうちに、いつのまにか誕生日が終わっていて、生きていたんです。

 そのころは不思議と楽しくすごせていて、自分の不登校を認められていました。『不登校新聞』の「子ども若者編集部」に参加するようになったのも、このころです。

 その後は死にたくなったり、生きてもいいかなと思ったり、気分に波がありますね。そうこうしているうちに、ここまで生きてきた感じです。

 今は20代前半で死のうと思っています。以前、親に「死にたい」と言ったとき、冗談半分で「葬式代がかかるからダメ」と言われたことがあるんです。「葬式代かよ」とは思いましたが(笑)。

 でも、親に恩もあるので、言われたとおり葬式代を稼いでからにしようと思いました。

 死ぬのに「お金」というノルマを課すなんて、私の心のどこかには「死にたくない」という気持ちがあるのかもしれないですね。

 もし葬式代を稼げなければ、生き続けることになります。「まだノルマを果たしてないんだから死んじゃだめ」となりますから。

 でも、そのほうが私に向いています。「生きていていいんだよ」だと私には届かないので、「稼ぐまで生きてなきゃダメ」という命令を自分に課したほうが、結果として生きられると思います。

 そして生きているあいだに、いつの間にか人生が楽しくなっていたら儲けものですね。そうなったらいいなと今は思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳、協力・本多寿行)

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