『不登校新聞』に勤めて約15年、しばしばこんな相談をいただきます。
「不登校をしていたわが子が中学や高校への進学を機に必死になって勉強しているが、そばで見ているかぎり、とてもつらそうに勉強していた。親としてどんな言葉をかけてあげたらよいのかわからない」、と。
不登校でつらそうにしているわが子に対し、親はどんな言葉をかけたらよいのか。
これは不登校の子どもを持つ親であれば誰しもがぶつかる壁です。この問いに対し、逆説的に考えてみたいと思います。
つまり、適切な言葉がけをすれば子どもは安心するのか、ということです。適切ではない言葉がけは、たしかにあります。
今回の例で言えば「だから勉強しなさいとあれほど言ったでしょ」とか「勉強しなかったのはあなたの責任でしょ」といった子どもの存在自体をおびやかす言葉です。
こういった類の言葉をかけた瞬間、大半の子どもは心のシャッターを降ろしてしまいます。
大事なことは言い回しでなく
では、適切な言葉がけはあるのか。
結論から言うと、ありません。正確に言えば、あるにはあるのですが、それはどんな表現かという言い回しの問題ではなく、タイミングが重要な問題なんです。
たとえば、「大丈夫?無理しなくていいよ」という言葉がけは、子どもを心配する親の気持ちとしてまちがっていません。
しかし、「勉強しなきゃ」と焦る子どもからすると、その言葉を額面通りに受けとることが難しい場合があります。
私は以前、不登校がきっかけで拒食症を経験した女性を取材しました。中学1年生で体重が30キロを切るという状態、不健康なことは誰の目にも明らかです。
ある日、女性は知り合いから「あなたの身体が心配だから、これだけでも食べてみない?」と言われました。
それを機に、女性は少しずつ食べるようになりました。知り合いの言葉はなぜ届いたのか。
「食べることを親から無理強いされず、食べないことを頭ごなしに否定されることもなく、私自身も食べないということを徹底的にやりつくしたからこそ、知り合いの言葉をアドバイスとして受けいれることができた。タイミングによっては、同じ言葉でもその受けとり方はまったくちがったものになっていたと思う」と、女性は当時をふり返ってくれました。
このように、同じ言葉であったとしても、子どもに届くときと届かないときがあります。それは言葉がまちがっているからではなく、上述したようなタイミングの問題です。
共感の蓄積を
そのタイミングをつくっていくには、言葉よりも共感の蓄積が大きく影響します。勉強を一生懸命がんばっているけれど、なかなかうまくいかない。
親がそんな気持ちをほんの少しでもわかってくれるだけで、子どもの不安は軽くなります。
微々たるものかもしれませんが、その積み重ねを続けていくことが「同じ言葉でも額面どおりに受け取れ、心のなかにストンと落ちる」タイミングにつながっていきます。
子どもが口にする「勉強しなきゃ」と「勉強したい」とのあいだには、大人が考える以上の開きがあります。
「勉強しなきゃ」と焦る子どもにまず必要なのは言葉ではなく、子どものそばに座り、「子どもの今」を否定せず、そうかそうかと共感してくれる姿勢なのだと、私は思います。(東京編集局・小熊広宣)
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