不登校新聞

532号 2020/6/15

東大大学院から6年半、ひきこもった僕が今思うこと

2020年06月15日 11:22 by kito-shin
2020年06月15日 11:22 by kito-shin


ひきこもり経験者・石井英資(えいすけ)さん

 東京大学大学院在籍中から6年半ひきこもった経験を持つ、石井英資さんにお話をうかがった。ひきこもり中の生活や、抜け出せた理由などをお話いただいた。

* * *

――石井さんがひきこもるようになったのはいつからですか。

 東京大学の大学院にいたときのことです。就職活動を終えたところで、希望の会社から内定ももらっていました。

 はたからみれば、うまくいっているように見えたでしょうね。だけど僕は、すごく疲れを感じていました。

 「これから何十年もただただ働いて、年をとっていくのか」と思ったのを覚えています。

 そこで、大学の研究室に休暇をもらいました。「2週間の休みをください」と。そしてそのあいだ、家ですごしていました。

 しかし2週間がすぎても疲れがとれず、休みがどんどん長びいていきました。それが、6年半におよぶひきこもりの始まりです。

 「ひきこもった原因」というと、特別な出来事を想像されるかもしれませんが、僕のきっかけは、本当にそんなものでした。

人生終わりだ

 大学院には在籍の上限があるので、ひきこもったままだと中退になります。

 当時の僕は、大学院修了以外の選択肢が考えられず、精神的に追い詰められていました。中退をして無職になったら、「自分の人生は終わりだ」とさえ思っていたんです。

 ほかの誰かが中退しても、とくになんとも思いません。だけど自分のこととなると、中退すれば「無能な人間」「能力の欠損」という烙印が押されてしまうように思えたんです。

 父親から「大学院は修了しろ」、「正社員になって3年は働け」などと言われていたことも、影響していたと思います。

 大学の先生や友だちは、とても好意的な人たちでした。僕が研究室に戻らないのを心配して、家にまで来てくれたこともあります。

 だけど僕は、「大学へ行けない自分は、社会の落伍者だ」と思いこみ、羞恥心でいっぱいになっていたので、家に来てくれたみんなに顔向けができませんでした。

 あれはきつい体験でしたね。ある不登校の子の話で、「小学校のクラスメイトが、家に訪ねてくるのがイヤだった」と聞いたことがあります。

 僕は小学生と同じ苦しさを、大学院で味わったんです。

――ひきこもっているときは、どのようにすごしていたのですか?

 ひとり暮らしをしていたので、最低限の買い物などには出かけます。だけど他人が怖かったので、人と話さなきゃいけないような場所には、出かけようとは思いませんでした。

 期限がきてしまったため、大学院は中退です。中退になる前後が、人生で一番苦しい時期でした。

 卒業して働いているはずだったのに、無職で家に居るだけの生活ですから。自責の念にさいなまれながらすごし、気がついたら30歳を越えていました。

 ひきこもっているときに助けになったのは、テレビゲームです。あるとき、「気分転換になれば」と思って何気なくプレイしました。

 すると、それまでのどんよりしていた気持ちが、すごくクリアになりました。僕はロールプレイングゲームなど、始めから世界観ができあがっているゲームが好きでした。

 物語の世界にひたっていると、視野が自分の外に向くからか、悩みをもたらすような苦しさを考えないでいられます。そんな効果があるとわかってからは、意識してゲームをやるようになりました。


 
抜け出せたのは受けいれたから

――なぜひきこもりの生活から抜け出せたんですか。

 ひきこもりの当事者などが集まる会に参加して、「自分はひきこもりでもいい」と受けいれられたからです。

 そもそも僕は、自分を「ひきこもり」だと思っていませんでした。「自分は精神疾患にちがいない」と思って、病名を検索していました。

 「ひきこもり」と検索することがなかったので、ひきこもりをサポートする情報につながらなかったんです。

 ところがある日、ネットの掲示板を見ていて、偶然「ひきこもりの集まるイベントがある」と知りました。

 そしてイベント情報を見ていくうちに、「もしかして自分はひきこもりなんじゃないか」と、初めて自覚したんです。

 正直に言うと、始めはひきこもりの人に偏見を持っていました。ひきこもりはきっと、「特殊な暗い人たちだろう」と思い、警戒していました。

 だけどイベントに参加してみると、すぐに「ふつうの人たち」だとわかったんです。特別なところのない、どこにでもいる人たちでした。

 ひきこもりがこんなにふつうなら、「べつに自分がひきこもりでもいいじゃないか」と自然に受けいれることができました。

 それはすごく大きな経験でした。とくに、気の合う人と出会って、ゲームの話ができたのは決定的でした。

 「楽しい話をしているときには、自分がひきこもりかどうかなんて関係ない」と実感できたからです。人に対する信頼感を高められる経験になりました。

 それと、これはひきこもりを抜けだして3年ほどが経ってからですが、ひきこもり向けの「オンライン当事者会」の存在を知ったこともよかったです。

 ひきこもりの当事者や経験者が運営している、ビデオチャットの集まりです。「Zoom」などで開催されているのですが、匿名で気軽に参加できるのがよいです。

 「ひきこもり当事者向け」とか「発達障害者向け」とかの種類がありますから、事前に参加者の属性がわかるのも、話しやすくなるポイントです。

 雑談をして笑えるのは、すごく楽になる時間でした。

学力は幸福の保証にならない

――その後はどのような生活をされましたか。

 いくつか仕事をしてきたのですが、よい人生経験になったと思うのは、塾講師の仕事です。

 講師になったとき、始めは「どれだけ生徒の点数を上げられるか」に専念していました。うまく勉強を教えることで、生徒の役に立とうと思っていたんです。

 だけど生徒のなかには、点数が上がったのに、うれしそうにしていない子がいました。第一志望の学校に受かっても、しんどそうにしているんです。

 反対に点数は悪くても、すごく楽しそうにすごしている子もいました。そんな姿を見ているうちに、生徒との関わり方がどんどん変わっていったんです。

 教科書をていねいに教えることはもちろんですが、生徒の心の動きに、より気を配るようになりました。心理面への気づかいを心がけることで、授業も活発になります。

 信頼関係が深まったためか、結果として成績の上がる子もいました。「いくら学力があっても、幸福になれるとはかぎらないんだ」と実感する出来事でした。

 塾講師をして僕自身が学ばせてもらったのは、「いろいろな人がいる」ということでした。

 あたりまえかもしれないですけど、すべてが完璧な人なんていないんですよね。塾に来る子を見ても、人間関係で悩んでいる子や、いわゆる発達障害の子もいます。

 言い方は悪いかもしれませんが、みんながどこかにいびつさを抱えています。僕はこれまで、「完璧な人間」みたいなものがあると思っていて、それを求めてきたようなところがありました。

 だけど実際にはいろいろな人がいて、それぞれの生き方を模索している。僕はそのことが見えていなかったように思います。

――石井さんにとって、ひきこもりの経験はどのようなものでしたか。

 ひきこもっているときは、「自分は遠まわりをしている」と思っていました。「大学を卒業する」という正しい進路から、はずれたと思い、劣等感をかかえていました。

 だけど、今の僕が思うのは「進む道は人の数だけある」ということです。「遠まわり」というと、ほかの誰かと同じゴールを目指すイメージですが、そもそも誰もが別々の道にいて、別々の結果にたどりつくものなのだと思っています。

 人から見ると、僕は「正道」とされるエリートコースを進んできたのかもしれません。だけど苦しい時間が長くて、「全然正しい道ではなかった」と思っています。

 正しいひとつの道があるわけではなく、結局は、自分の道を行くほかないんですよね。

 僕は長いあいだ、ぐるぐると歩きまわってきましたけど、これも自分の道筋です。ひきこもっていた経験も、まちがいではなかったのかもしれません。

――ありがとうございました。(聞き手・酒井伸哉)

関連記事

「40代で人生2度目のひきこもり」ひきこもり経験者が語るふたたび動き出すまでの出来事と気持ち

624号 2024/4/15

「30歳を目前に焦っていた」就活失敗を機に大学生でひきこもった私が再び動き出すまでに取り組んだこと

623号 2024/4/1

14年の心理士経験を経てわかった「学校へ復帰するよりも大切なこと」

621号 2024/3/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…

622号 2024/3/15

「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都さん。10代に向けた小…