今回は「不登校になったのはお母さん(保護者)のせいだと言われたら」というテーマです。
中学生の息子を持つお母さんから相談をいただきました。不登校になって言い争うことがあり、子どもから次のように言われたそうです。
「お母さんが、ちゃんとしたことを教えてくれなかったから、自分は学校でついていけず、不登校になった。不登校になったのは、お母さんのせいだ」、と。
おたがい感情的になっていたとはいえ、親としては突然のことで、どうしてよいかわからなくなるほどにショッキングな一言だった、と想像します。
その一方で、子どもにとっても、気持ちが抑えられなくなって口をついて出た一言になってしまったのではないかと思います。
言ってしまうことで、親も自分も傷つくことがわかっていたからこそ、今までふれないようにしてきた言葉だったのかもしれません。
言葉の奥には
そう思うと、子どもは(あるいは親も)不登校をつまづきだと捉え、言わずにいられなかったほどに、心が休まらずに苦しんできたのではないでしょうか。
そして親を責めたい気持ちはあるものの、不登校のすべてが親のせいだとは考えていないと思います。そればかりか、「ちゃんとできなかった自分自身」をも責めているはずです。
「お母さんを信じて、お母さんの言うとおりにやってきたのに」、それが崩れてしまったさびしさがあるようにも感じます。そんな重荷を降ろせないままにいるのです。
そうだとするなら、親ができることは、その言葉だけにふりまわされず、ありのままの子どもと向き合い、葛藤や不安を共感的に理解しようとすることです。
それをないがしろにして、親のことをわかってもらおうと弁解やかたちだけの謝罪をすると、子どもは諦めたり、考えることを放棄してしまったりして、信頼関係を築けなくなってしまうかもしれません。
また、視点を変えてみると、年齢的には反抗期の可能性もあるかと思います。
「中学生になるこの時期は、思春期に入り、親や友だちと異なる自分独自の内面の世界があることに気づき始めるとともに、自意識と客観的事実とのちがいに悩み、さまざまな葛藤のなかで、自らの生き方を模索し始める時期(文科省)」であり、不登校であっても成長とともに迎えることがあります。
もしかすると、親にとって、これまでは自分の言うことを素直に聞いてきた「よい子」だったのではないでしょうか。
子どもは親の愛や思いを感じ取ればこそ、親の気持ちを先まわりして取りいれ、自分の行動を親の思いに合わせたり、ときにはがまんをして従ったりしたこともあったかもしれません。
しかし、子どもとの距離感は、成長に合わせて変化するものです。たとえば、保護者にとってはいつもどおりの接し方でも、子どもが成長することで、干渉しすぎになっていたり、親の思いが「大人の論理」を押し付けているだけになってしまったりして、子どもの気持ちとギャップができてしまうことがあります。
子どもと大人の関係から、あらためて子どもをひとりの人格として尊重し、ともに語り合える関係性になることから、不登校を契機にいろいろと対話を通して、歩みを進めていけるようになるのではないでしょうか。(庄司証)
【プロフィール】
■著者/庄司証(しょうじ・あかし)1980年生まれ。「函館圏フリースクールすまいる」代表。不登校・高認・進学支援にとり組んでいる。
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