不登校新聞

554号 2021/5/15

有名私立中学への受験合格後に不登校、山田ルイ53世に起きたこと

2021年05月14日 11:13 by kito-shin
2021年05月14日 11:13 by kito-shin

 お笑い芸人・山田ルイ53世さんも「長期休み明けの不登校」だったそうです。山田さんに不登校のきっかけや、過去の記憶から解放されていった経緯をうかがいました。

* * *

――山田ルイ53世さんは、いつから不登校だったのでしょうか?

 本格的に不登校が始まったのは中2の夏休み明けだったと思います。トリガーになったのは通学中にうんこを漏らすという悲しい事件(笑)。と言っても夏休み中は、何もなかったようにいつもどおりにすごしていたので、親には少々気の毒なことをしたなと。なんせ「急に」ですから(笑)。「学校へ行こうとしない息子の姿」を親が目にしたのは、その夏休みが明けたタイミング。そこが初めてだったと思います。

――学校へ行きたくない理由を、どう説明されていましたか?

 一応、「夏休みの宿題をやっていないから」と説明してましたね。実際やってなかったですし。今日から2学期だという朝、「どうしよう……」と気持ちは焦るものの、ベットから出られず。

 そのうち父が2階の僕の部屋へやって来て、「早く起きないと学校間に合わないぞ!」と。しばらく「う~ん……」とかなんとかモゴモゴ言ってはぐらかしていましたが、最終的に、「行かへん」と絞り出すように伝えました。親はショックだったと思います。

 それ以前は運動も勉強も優秀な子で、テストの成績も学年で10番以内。まるでカフカの小説『変身』のように、ある朝、人間だったわが子が芋虫になった、そんな感覚だったかもしれません。僕自身も、そんなふうに感じていましたし。

がんばりすぎが、疲れはてた原因

――なぜ夏休みの宿題ができなかったのでしょうか?

 中学受験以来、部活も勉強もちょっとがんばりすぎて、疲れ切っていたのが一番の原因かなと思います。あと、これはひきこもり始めて以降の話になりますが、僕が「ルーティン地獄」と呼んでいた、強迫神経症のような儀式の数々に悩まされていたんですね。

 たとえば、勉強をする前には机の上のノートの角をすべて揃えなければならない、とか。ノートを揃えたら今度は本棚。ぴしっと横一列に本を並べなければならない。

 部屋の掃除も毎回、窓拭きまでやってましたから、ほぼ大掃除と同じです。部屋が片付いたら、今度は自分の掃除。粘着テープがついたコロコロのやつで全身をきれいにする。そうしないまま勉強をしても意味がない、とにかく、きちんとしないと「何もできない」っていう気持ちに強固に支配されていた。

 最終的に、定規を使って文字を書くようになってたときは、「終わったな……」と思いましたね。算数や国語のノートが、脅迫文みたいになってたんで(笑)。全部カクカクの字で「筆跡隠したいんかい!」っていう。なんとか勉強まで漕ぎつけても、シャープペンの芯がポキッと折れて飛んでいったらもうダメ。それが気になってほかのことが手につかない。折れた芯が見つかるまで勉強は中断です。

数々の儀式、心もヘトヘトに

 こういうルーティンが20個から30個ぐらいありました。プロ野球選手はバッターボックスに入る前のルーティンワークを大事にするそうですが、僕の場合は、ルーティンが多すぎてバッターボックスにたどり着けない。ヘトヘトになってしまう。今ふり返ると、そういう厄介なことの「芽」が、中2の夏休みにポツポツ現れ始めていたのかもしれません。

――強迫症状で苦しまれたのだと思うのですが、それでも親は気がつかなかったのでしょうか?

 ひきこもり始めはまだそこまで顕著じゃなかったですし、たぶんまったく気づいていなかったと思います。こっちも表面上は優等生を装っていたというか、そのへん、僕完璧なので(笑)。親に、いちいち言わないし、どう説明してよいのかもわからない。向こうも勉強はできたので安心していたんだと思います。

 僕は小学校6年生の夏から中学受験の勉強を始めて、当時は、「関西の御三家」なんて呼ばれることもあった六甲学院中学校に合格しました。準備期間を考えると、けっこうすごいことだったらしいです。その半年ほどのあいだだけ、親に頼んで塾に通わしてもらった。

 あとにも先にも塾通いはそのときだけ。しかも、僕含めて生徒2人のこじんまりした塾で、中学受験対策なんてやったことがない。たぶん月謝が安かったから親もそこにしたんだと思います(笑)。正直、ほとんど独学だったですね。親も合格するとは思ってなかったんでしょう。

 僕が合格したとき、先生が浮かれて、「君も山田くんになれる」というチラシを町中に撒いたことがあって(笑)。そんなこともあって、僕は妙な優越感を抱くことになりました。自分では「神童感」と呼んでいましたが、これがまたやっかいで、以後何年ものあいだ、その優越感のせいで道を誤ることになるわけです(笑)。

 いずれにしても、中学生活はしんどかった。なんだかんだで通学に2時間かかってたし、運動も勉強もがんばっていましたが、ぷつんと糸が切れてしまったというか。そこに「うんこ漏らし」事件が発生し、夏休みの宿題にも手をつけず。「優秀な山田くん」としては受けいれ難いことが次々と。不登校の始まりはそんなところです。


『ヒキコモリ漂流記 完全版』
角川文庫/748円(税込)

ひきこもりもヒマじゃない

――不登校になってからは、どんな生活をすごしていましたか?

 誤解されがちですが、ひきこもりって精神的には忙しい。ボーッとヒマを持て余しているみたいに思われますが、罪悪感や焦燥感、劣等感などなどに苛まれてヘトヘトに疲れてしまう。窓の隙間から、学校のチャイムとか道行く人々の話声が部屋のなかに侵入してくると、それに敏感に反応してしまい「それに比べて俺は……」となってしんどい。あと僕の場合、「人生が余ってしまったな……」という虚無感にも悩まされました。

 それまで学校で評価されることがすべてだったのに、その学校へ行ってないわけですから。10代にしてもうやることがないという。もともと趣味も何もない人間ですから、学校がなくなるとやっぱりキツかった。

――転機になったのはいつだったのでしょうか?

 最初の一歩は大学受験でした。20歳手前くらいのとき、たまたまテレビで成人式のニュースを観て「このままでは同世代に置いていかれる……」と焦って。とりあえず何かやらねばと思い立ち、大学受験を。あのとき自分のことを過去も将来も含めてある意味、諦めることができた。「とりあえず、とりあえずでいいから生きよう」、と。

――勉強をする際のルーティンはどうしたんですか?

 これはご理解いただけないと思うのですが、30個ぐらいあったルーティンを「ギューッと握りこぶしに封じ込めて、フッと息をかける」という一つのルーティンに集約することに成功したんです(笑)。何年か前に精神医学の専門家と話す機会があったのですが、「山田さん、それはすごいことですよ!」と褒められましたね(笑)。

 ここでも「とりあえず」という考えが功を奏した気がします。居酒屋に入ったらとりあえずビールを頼むように、人生も完璧じゃないけど、とりあえずただ生きていいと考えを変えたんです。まあなんとか、大学は合格できました。

――山田さんは「ひきこもっていた時間はムダだった」と発言しています。そのお考えは、今の「諦めた経験」ともつながっているのでしょうか。

 ひきこもっていた時間がムダだったというのは、「ひきこもった経験が今の自分の役に立っている」「そのころ、出会った趣味で人生が変わった」などなど、そういう意見を否定するものではありません。もっと友だちと遊んだり勉強したりしたほうがよかったなと、「僕は」後悔しているというだけの話。結局、人それぞれです。

 ただ「苦しんだ過去を糧にしよう!」みたいなメッセージが溢れすぎている気はしています。「ひきこもった時間はムダだった」と言うと、かなりの確率で、「いや、でもひきこもりの期間があったからこそ、今の山田さんが……」と返ってくるのですが、ちょっと怖い。

 それはもう、あなたが好きな味付けであって、こちらがお出しした料理ではないというか。ムダを許さない、意味がないと認めないというか。本来キラキラする義務なんてわれわれにはないわけですから。「がんばろう」「キラキラと素敵に生きていこう」「週末はボルダリングを!」ばっかりだとしんどい(笑)。

 僕自身もかつてはずいぶん過去に囚われてきました。ひきこもっていたころ、みんなが外でワイワイ遊んでいる。自分は部屋の奥でひとり息を殺して「みじめだな」と感じていた。あのみじめさから目をそらしたら「負けだ」と。

 今思えば謎のスパルタ思考でしたね(笑)。問題から目を背けてはいけないという考え方自体、それ以外の選択肢から目を背けている、非常にコスパが悪い発想かもしれないなと思ったんです。周囲には「問題から逃げた」と映ろうが、それがはたして前に進んだのか後ろに下がったのか右か左か、結局は自分で決めることですから。

なりたいよりなれた自分で

――山田さんが諦めることで見つけられた選択肢はなんだったのでしょうか?

 芸人になってからの話で言うと、やっぱりシルクハットを被って貴族漫才を始めたとき(笑)。昔はスーツをビシッと着て、センターマイク1本でのしゃべくり漫才だけが正解だと考えていました。まあ、今でも憧れるのはそっちですが(笑)。

 まあでも、シルクハットとワイングラスがなければ、そのあとの一発もないわけですから。なりたい自分より「なれた自分」でやっていく。これも「自分を諦め」、「とりあえず」とあがいてきたおかげかもしれませんね。

――最後になりますが、山田さんが感じていたコンプレックスは解消できましたか?

 いやいや、コンプレックスを持っていることは大前提ですから(笑)。まあ、いろいろと抱えていた恨みや悔しさは芸人として売れたときにある程度解消されたかもしれませんが。

 でも正直、自分の人生全体で考えると心残りはまだまだありますし、取り返しがつかないこともいっぱいあります。それとともに生きているという感じです。最近よく思うのは、肩の荷を降ろしすぎるとバランスが悪いなと。ある程度の重荷を背負ったほうが歩きやすいということもある。  

 うちの子は、この春で上が小3で下が2歳になりました。ひきこもっていたときに感じていた「人生が余った」という感覚は、今はないですね。なんとか子どもが20歳になるまでは飯を食わせないとダメなので。あとはもう棺桶に手が届くまで生きるだけです。なんかすいません(笑)。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

【プロフィール】山田ルイ53世
お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学校に進学するも、中2でひきこもりになり中退。大検(現高認)を経て愛媛大学に入学するも、その後中退し、芸人の道へ。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し話題となる。

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