不登校新聞

556号 2021/6/15

親の対応で救われたこと、傷ついたこと。現役大学生が語る不登校

2021年06月15日 17:41 by kito-shin
2021年06月15日 17:41 by kito-shin

 4月10日に行なわれたオンラインシンポジウム「不登校からの卒業~あの頃が思い出に変わるとき~」(主催・NPO法人ここ)の講演抄録を掲載する。登壇者は、中学と高校で不登校を経験した現役大学生の安部ひかりさん(20歳、以下、安部)と柴田陸玖さん(21歳、以下、柴田)。司会は同法人職員の上岡拓矢さん(以下、上岡)。

* * *

上岡 本日は「不登校からの卒業~あの頃が思い出に変わるとき」というテーマでシンポジウムを開催します。私を含め、登壇者はみな不登校経験者です。「当時はいろいろあったけど、いま私たちはこんなに元気だよ」というのを感じていただけたらと思っています。

まずは私から自己紹介したいと思います。フリースクールここ南吹田校【いどばた】責任者の上岡拓矢です。僕は中学1年生の2学期から不登校になり、中学2年生の2学期までの1年間、ひきこもっていました。不登校のきっかけは、部活の顧問と合わなかったことでした。その後、中学2年生の夏休み明けに適応指導教室に通うようになり、そこから高校・大学と進学し、現在に至ります。

柴田 柴田陸玖です。僕は中学3年生と高校3年生の計2回、不登校になりました。中学生のときは部活の顧問とモメたこと、高校生のときは体調を崩してしまったことが不登校のきっかけです。現在は大阪の大学に通っています。

安部 安部ひかりです。私が不登校になったのは、高校1年生の夏休み明けでした。夏休み中に体調を崩してしまい、その後に「起立性調節障害」と診断されました。高校2年生に進級するタイミングで全日制から通信制に転校し、ギリギリで高校を卒業しました。その後は1年浪人して、現在は大学生です。

上岡 ありがとうございます。今日は2人ともNGなしということなので、いろいろ聞いていこうと思います。不登校のきっかけについて、もう少しうかがいたいんですが、では、柴田さんから。

柴田 僕はサッカー部に所属していたんですけど、顧問の先生が昔ながらのスパルタ教師という感じでした。僕は忘れ物が多い生徒だったので、いつのころからかターゲットになってしまって。怒られるときに胸倉をつかまれたり、パイプ椅子が飛んできたこともありました。

 中2のとき、ある出来事が起きたんです。僕の中学校の文化祭の催し物って、部活単位で準備するんです。そのときにはすでに部活に出ていなかったので、僕は部活のミーティングに出ずに帰ろうとしたら「柴田~!」という顧問の大声が聞こえてきて(笑)。顧問は昇降口で鉢合わせした僕の胸倉をつかんで押し倒しました。そのとき、手首をぶつけてしまい、骨が折れてしまったんです。

 骨折したことはすぐに気づきました。でも、そのときは「内緒にしよう」と思ったんです。そのほうが顧問に与える影響が大きくなるんじゃないかなって。腕力でも地位でも、それまで圧倒的に弱い立場にいた僕が被害者になることにより、僕のほうが顧問よりも強くなれるんじゃないかって思ってしまったんですよね。今思えば、調子に乗っていた部分もあったと思います。

 それは後におおごとになり、顧問は1カ月の謹慎処分となりました。そして、僕が中3に上がるタイミングで他校に異動することになりました。その事実を知ったとき「1人の大人の人生を変えてしまったんじゃないか」と思い、罪悪感でいっぱいになりました。それがきっかけになり、中3から不登校になりました。

上岡 柴田さんは今笑って話せていますけど、骨折しているわけですから、許しがたい話だと思います。安部さんは?

安部 高1の夏休みのある日、友だちと遊んでいたら急に体調が悪くなってしまったんです。「寝たら治るだろう」と、そのときは軽く考えていたんですが、体調不良はその後も続き、昼夜逆転もするようになってしまいました。2学期が始まっても、朝は起きられないし、頭痛はするし、吐き気も止まらない。学校にいるだけでしんどくなってしまうので、しだいに学校へ行くこと自体が怖くなってしまったんです。その後、母の友人の紹介で小児科を受診したところ「起立性調節障害」だと診断されました。体調不良の原因がわかったことで、少しだけ気持ちが楽になったのをおぼえています。

うれしい対応は

上岡 つぎの質問ですが、不登校をしていたとき、親の対応でうれしかったことはありますか?

安部 母が通信制高校を見つけてきてくれたこと、これが私にとってはうれしかったですね。通信制高校にはあまりよいイメージを持っていなかったんですが、母がいろいろ調べてくれて。いくつか見学にも行くなかで「ここなら通えるかも」と思った高校が見つかったのはありがたかったなって思います。

柴田 僕は高3でも不登校になるんですけど、大学受験のための塾に親が通わせてくれました。好不調の波があって塾へ行けない日もけっこうあったんですけど「それでもいいよ」と両親が言ってくれたことで気が楽になりました。

上岡 二人に共通していることは「親が味方でいてくれた」ということでしょうね。逆に、こういう対応がつらかったということは?

安部 私はあまりないかな。

柴田 うちの場合、「学校へ行かなかった日はおやつ抜き」だったんです。だから、制服に着替えて出かけて、外で時間をつぶし、さも学校へ行ってきたような顔で帰宅しておやつを食べる、なんてこともありましたね(笑)。おやつ抜きなんて、地味に見えるかもしれませんが、本人からすると、精神的にけっこうしんどくなるんですよ。

上岡 もし不登校せずにそのまま学校へ行き続けたとしたら、その後はどうなっていたと思いますか?

柴田 先ほどもお話したように、僕は高校でも不登校をしているんですけど、大学生か、または社会人になってからかはわかりませんが、同じようなことが起こったんではないかって思います。あのタイミングで不登校になってよかった、僕はそう考えるようにしています。

安部 私の場合、ガマンして学校へ行き続けていたら、体調はもっと悪化していたと思います。不登校をすることで、無意識のうちに自分を守っていたんじゃないかって思うんです。

上岡 じつはこの質問って僕もよく考えるんです。あのとき学校へ行っていたら、もっとよい大学へ行けていたんじゃないかな、とか。でも、ガマンを続けた先には、今と同じ自分は存在していなかったんじゃないかとも思うんです。2人の話を聞いていると、不登校経験を自分のなかで受けいれられているように感じるんですが、何かきっかけがあったんですか?

柴田 僕は高3のときに出会ったカウンセラーの存在が大きいですね。不登校だったころは、どうしたって自分の将来を悲観してしまうし、視野も狭まってしまう。そういう価値観を変えてくれたのがカウンセラーでした。

安部 視野が狭くなる感じ、すごくよくわかります。不登校だったころは「勉強しなきゃ、大学へ行かなきゃ」と、あれこれしなきゃという思いでいっぱいいっぱいになっていました。じつは私の転機も、ある児童精神科医との出会いなんですけど、診察中に「今できることをしよう、今楽しいことをしよう」と言ってくれたんです。つまり「自分の心が動く物を大事にしなさい」ということです。

 不登校になった当初、私はアニメを観たり、絵を描くというインドアな趣味をひた隠しにしていました。偏見を持たれてしまうんじゃないかと、周囲の目がどうしても気になってしまって。でも、その医師の話を聞くうち「今の自分が何を感じ、どう思うか」が大事なんだということが少しずつわかっていきました。そこからですね、自分で自分を否定しなくなりましたし、不登校そのものも受けいれられるようになっていきました。

親と子どもに伝えたいこと

上岡 そろそろ終わりが近づいてきました。今日は、不登校の子どもを持つ親も、不登校真っただ中の子どもも観てくれていると思います。柴田さんから親の方に伝えたいことは?

柴田 親として不安になるのは当然だと思います。けれど、学校へ行けない子どもに対して「行け」と言ってしまうことだけは避けてほしいなって。これ、子どもの立場からするとすごくしんどいんです。僕は「行きたいけど行けない」という不登校だったので、その一言だけでも追いつめられてしまう。だから、まずは学校へ行けていない子どもの今を受けいれてくれる姿勢だったり、それを子ども自身も感じられるような関わり方をしてくれたらうれしいなって思います。

上岡 安部さんから不登校をしている子どもに伝えたいことは?

安部 不登校に引け目を感じることなく、もっと言えば、自分を甘やかしてほしいなって思います。私自身がそうだったんですけど、どうしたって、不登校をしている自分を自分で責めて否定してしまうんです。

 ただ、大学生になってわかったんですけど、不登校の経験を話す機会なんてめったにないし、引け目に感じる場面もありませんでした。

 もちろん、「不登校に引け目を感じないで」「重く考えすぎないで」とまわりから言われたからって、それが難しいということは重々わかります。でも、だからこそ、先ほどお話したように、少しでも自分の心が動く物に取り組んでみたり、それと向き合う時間を大事にしてほしいなって思いますね。

上岡 今日は2人にいろいろ話を聞いてきました。不登校の子どもを持つ親はわが子のために、たくさん考え、調べ、実際に動いてらっしゃると思います。それが原因になって親子でぶつかることもあるかもしれませんが、安部さんのように、親が通信制を見つけてくれたことがありがたいと感じるケースもあります。そして今、不登校をしている子どものなかにも「この先どうしたらよいのか?」と悩んでいる人もたくさんいると思います。

 でも、今日のシンポジウムに登壇してくれた2人を見てくれたらわかると思うけど、大丈夫なんです。そして、同じような経験をした人はたくさんいます。困ったことがあったら「ここ」に連絡してほしいし、あなたの味方はたくさんいるんだということを知ってもらえたらって思います。

柴田 最後に一言だけ。「不登校だったけど、それがなんだ」と僕は考えています。

上岡 「不登校だったけど、それがなんだ」、今日はこの一言で締めたいと思います。ありがとうございました。(了)

「フリースクールここ」って、どんなところ?


南吹田校で干し柿のつくり方を学ぶ子どもたち

「フリースクールここ」は、学校に行きづらい子どもたちのための居場所。吹田校、南吹田校、淡路校と3つの校舎があり、幅広いサポートができるよう、人数や活動内容などが各校ごとに異なるという特徴がある。また、通信制高校とも提携しており、フリースクールに通いながら提携先の高校卒業資格を取得することも可能。

■フリースクールここ吹田校【あまかり】
(住 所)大阪府吹田市内本町1-19-7
(電 話)06-6382-5514

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