不登校新聞

563号 2021/10/1

小学4年で不登校に。僕が行きたくないと言った理由

2021年09月30日 10:33 by kito-shin
2021年09月30日 10:33 by kito-shin

 熊本県在住のムクムクさん(中学1年生・男性)にインタビューしました。学校の先生の言動に疑問を抱き、不登校になったというムクムクさん。不登校になった経緯やこれからどう生きていきたいと考えているのかなどを、率直に話してくれました(写真はイメージ画像です)。

* * *

――ムクムクさんはいつから学校と距離を置くようになったのですか?

 小学4年生の夏休み明けからです。理由は、先生の命令でみんな合わせて行動しなければならないことがイヤになったからでした。体育の授業で、みんながんばって運動していたのに、急に先生に止められてダメ出しされたときなどは、「どうして体育座りさせられてだまって聞いていなきゃいけないの?」と疑問に感じました。「自分たちで考えて行動したってよいはずなのに」と思って。  

 また、あるとき先生に怒られることがあり、反発して言い返したら、「子どもは先生に逆らえないんですよ」と言われたんです。自分たちを押さえつけようとする発言に大きなショックを受けました。

 その後も学校や先生への不信感が膨らむばかりで、しだいに休む回数が多くなっていきました。最初のころは2週間に1回程度だったのが、1週間に1回かならず休むように。具合が悪かったわけではないですが、モヤモヤが取れなくてつらかったんです。かといってそのモヤモヤを言葉にすることは当時できず、親にはただ「学校へ行きたくない」とだけ言っていました。

親の提案を受け、フリースクールへ

――親御さんの反応はどうでしたか?

 よくため息をついていました。でも、僕の姉も不登校をしていて、親にはそのときの経験があったからか、ムリに学校へ行かせるようなことはせず、フリースクールへ行くのはどうかと提案してくれました。何カ所かいっしょに見学にまわって、僕の居場所を探してくれたんです。そのなかのひとつ、川遊びなど自然体験ができるスクールに興味を持ち、3学期から入学することにしました。

 ただ、フリースクールもよいことばかりではなかったです。体験入学のとき、初めて会った子にいきなり竹でたたかれました。突然のことでびっくりしましたが、もっとおどろいたのは誰もその子を注意しなかったこと。あとから先生に「気性が荒い性格だからしょうがないの。みんな受けいれているんだ」と言われました。自分としてはその子とは仲よくなれないと思いましたが、「まあ僕みたいにいろいろな事情を抱えて来ているんだろうな。慣れるしかないのかな」と、とりあえず割り切りました。

 実際フリースクールは楽しかったので、暴力的だったり暴言がひどかったりする子がいても通いました。どんなところがよかったのかというと、自分たちの好きなようにできるところ。みんなでご飯をつくったり、キャンプをしたり。子どもが自分たちで考えて行動する、大人はそれを支えて、応援してくれる、といった雰囲気がありました。学校ではいつも先生に従わないといけなくて窮屈だったけど、フリースクールではそんなことはありません。100点満点の居心地ではなかったけれど、学校よりもはるかに魅力的でした。

時間をかけて

 じつはそのスクールに通うのには片道2時間かかります。朝早くからひとりで電車を乗り継いで行くのでとても疲れて、最初はたまに休むこともありました。でもがんばって通ううちに気の合う友だちもできました。だんだんフリースクールは僕の居場所になっていたんです。親が駅まで車で送ってくれたり、学校に掛け合って通学定期券(※)を利用できるようにしてくれたりしたおかげもあって、ほぼ毎日通うようになりました。

 しかし小学校卒業とともにそのスクールを離れることになりました。小6の冬から進路について考え始めたからです。シンガーソングライター兼米農家の小田桐仁義さんに憧れていた僕は、将来農業をやりたいと思うようになり、そのために農業高校へ行こうと考えました。

 そのことを親に話すと、「だったら、内申点を取るために中学へ行ったほうがいいよ」と言われ、今年の春から地元の中学校に通うことになりました。
 
――久しぶりに学校へ行くことになったんですね。

 そうですね。といっても、進路のためにしぶしぶでしたけど。中学では、ただでさえ学校へ行くのがイヤなのに、小4~小6まで自分だけフリースクールへ行っていたため、同級生と話が合わず、つらかったです。

 それから中学でも小学校のときと同じで、何をするにも集団行動。相変わらず体育の授業は、先生に命令されるばかり。運動はあまりせず、「前にならえ」など整列の練習をひたすらさせられました。たまに体を動かすことがあったかと思えば、行進やジョギングをするだけ。まるで軍隊ですよね。「これって体育なのか?」とまた疑問が出てきました。

 先生の態度も気になりました。生徒を指導するときは、どなるのがあたりまえ。「正座しろ、正座!」と体罰をする先生もいました。「この学校はダメだ……」。僕はまた学校へ行きたくなくなってしまいました。

 でも内申のためには、とにかく学校を休めない。学校にいるあいだは、ときどき保健室に逃げ込んでいました。でも、保健室にいても先生の怒号が聞こえるなどで安心できません。学校にいること自体が苦しくて、だんだん朝行って昼前に早退することが多くなっていきました。

心をえぐった同級生の言葉

 給食前に教室で帰る準備を始めると同級生の視線が痛かったです。遠巻きに僕のほうを見て、「何あいつ、帰んの?」とひそひそ話しているんです。罪悪感でいっぱいになりました。

 同級生の言葉にひどく傷ついたこともありました。クラスのみんながほかの教室で授業を受けるなか、自分だけ教室に戻って帰ろうとしたときのことです。早退する際は先生に報告しないといけなかったんですが、いつも理由を問いつめられるので言いづらく、たまたま教室に忘れ物を取りに来た同級生に、「今から帰るから先生に伝えといてくれん?」と頼みました。そしたら一言、「やだよ。卑怯者」。心がえぐられるようでした。

 結局、先生たちの締めつけは強いし、クラスでは孤立するしで、中学も不登校に。親と話し合ってこの9月から再びフリースクールへ行くことになりました。

――これからのことを今はどのように考えていますか?

 農業高校を目指すかどうかはいったん置いておこうと思います。そもそも進路を考えたのは、母に将来の夢を早めに決めるよう言われていたからです。たぶん、姉が不登校だったとき、母は先が見えなくて不安だったんだと思います。僕には早く道筋を立ててほしかったんでしょうね。農業は、考えてみればそんな母に応えられるようにと、ユーチューブや漫画から見出した夢でした。

 でも母は、フリースクールに戻るかどうかの話し合いをしたとき、「将来をそんなにむずかしく考えなくてもいいよ。人間はなりゆきで変わるもんだよ」と言ってくれました。中学に通い始めたばかりのころは、学校へ行くことをすすめていた母でしたが、僕がどうしても行くのがつらいと悩むようすを見て、考えが変わったようです。

 フリースクールに戻る選択肢も母のほうから切り出してくれたことでした。学校に毎日通って、よい進学先を目指すことだけがすべてじゃないと母が示してくれたおかげで、僕は肩の力が抜けました。

 今後は人に縛られずにやりたいことをやっていきたいと考えています。最近親のお古のパソコンで動画編集をやっていて、それが楽しいからもっとやりたいと思うし、あと音楽が好きだから作曲もやってみたいです。将来のことはゆっくり考えていくことにします。

 以前は自分の将来のことがすごく不安でした。でも調べてみれば高校は偏差値が低くても入れるところがあるみたいだし、仕事だってできることがないなんて考えないで、これから見つけていけばいいんだと思います。親やまわりの大人には、僕がしたいことを聞いてもらって、それがどんな仕事につながるのか、社会でどう活かせるのかを教えてくれると、ありがたいなと思います。

僕だけが周囲となぜちがうのか

 僕にとって不登校は自分の気持ちや性格が変わるまでの時間だったんじゃないかなと思います。不登校になる前は、自分の意見を出しても通らないという経験をたくさんしたので、自分は何も変えられないちっぽけな人間だと思っていました。不登校になってからもしばらくはそういった思いが抜けなくて、さらに「どうして自分だけまわりとちがうことを考えてしまうのか」と、自分を責める気持ちでいっぱいでした。

 でも時間が経つにつれて、フリースクールでも家でも、「思っていることを言ってもいいんだ」ということを感じられるようになり、安心して自分を出せるようになりました。フリースクールでは、人前で自分の意見を発表する機会がたくさんあったことや、話したことに共感してくれる人に出会えたことが、自分を変えるきっかけになったと思います。

 家では、将来のことを先まわりして考えていた親が、僕の気持ちを尊重してくれるようになったことが、自分が変わる大きなきっかけでした。今では素直にやりたいと思うこと、どう生きていきたいと考えているかをおもてに出せるようになりました。

 不登校してすべてがよかった、とまでは言えないけど、不登校によって経験したいくつかの出来事から今の自分ができていると考えると、「不登校って意外とよいものなんじゃないかな」と思います。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳、編集・本間友美)

※フリースクールなどの民間施設に通う場合に利用できる定期券として、「実習用通学定期乗車券」があります。「子どもが在籍する学校の校長が、その施設に通う日数を指導要録上の出席扱いと認めた場合」に適用されます。

関連記事

「40代で人生2度目のひきこもり」ひきこもり経験者が語るふたたび動き出すまでの出来事と気持ち

624号 2024/4/15

「30歳を目前に焦っていた」就活失敗を機に大学生でひきこもった私が再び動き出すまでに取り組んだこと

623号 2024/4/1

14年の心理士経験を経てわかった「学校へ復帰するよりも大切なこと」

621号 2024/3/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…

622号 2024/3/15

「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都さん。10代に向けた小…