不登校新聞

589号 2022/11/1

【全文公開】私のゴールは不登校による差別をなくすこと いじめ、不登校を経験した市議会議員の思い

2022年10月31日 16:53 by kito-shin
2022年10月31日 16:53 by kito-shin

 「今日、不登校経験者のみなさんと会えて、本当にうれしい」。埼玉県富士見市議会議員・加賀ななえさん(31歳)の言葉です。小・中学校で不登校、高校では中退を経験しながらも、25歳の若さで市議会議員に当選し、現在3期目を務める加賀さん。政治の世界に身を置きながらも、今も生きづらさと戦っている加賀さんが、不登校経験者に語った半生とは。(編集・茂手木涼岳、協力・神内真利恵、撮影・矢部朱希子)※写真は加賀ななえさん

* * *

――不登校の経緯を教えていただけますか?

 小学校5年生のときに不登校になりました。原因はいじめです。暴力をともなうひどいもので、指を骨折するなどのケガをしました。とても苦しかったです。中学校でも出席したのはごくわずかで、基本的には家でインターネットゲームをしたり、イラストを描いたりしていました。

 不登校でつらかったのは、両親に泣かれてしまったことです。いじめが原因だったこともあってか「ウチの子は本当にかわいそう」と泣いていたんです。私としては、いじめはもちろんイヤでしたが、どこかで「これで学校へ行かなくてもいい理由ができたぞ」という気持ちもあったんです。それなのに親があまりにも悲しんでいるので本当にきつかったです。

 もうひとつ、先生とわかり合えなかったこともつらかったですね。忘れられないエピソードがあります。ある日、ひさしぶりに中学校へ行ってみたら、学級会議が開かれていました。黒板に大きく「加賀さんの問題について」と書かれているのを見て「なるほど、『私の問題』か」と。私の不登校が「問題」と見なされていることや、私のことで学級会議まで開かれていることが、きつかったんですね。先生は演説していました。「加賀さんだってこんなにつらいなか、歯を食いしばって学校へ来ているんだから、みんな、ほめてあげよう!」。こういうふうに、はれ物扱いされるのが一番つらいんですよ。ほっといてほしいですよね(笑)。

 現状、教職を選ばれる方の多くは、かつて学校が好きだった方が多いように感じています。だから、いくら普通教育機会確保法で「不登校は問題行動ではない」とされても、「学校はよいところだ」「学校に来ることが子どもにとって幸せなんだ」という気持ちを持ってしまう先生が多いのではないでしょうか。埋められない溝を感じました。

 勉強は、そこまで嫌いではなかったので不登校中も続けていました。そのおかげで、埼玉県内の私立高校へ進学することができたのですが、その高校もきつかったんです。校則がたいへん厳しい学校で、校門を通るときはかならず髪をおさげにする、週に1回スカートの長さチェックをする、などのルールがありました。生活もハードで、部活禁止で週6日、朝7時から夜7時まで勉強漬け。これはとてもじゃないけど無理だぞと思って、中退してしまいました。


※取材のようす

――いろいろとたいへんでしたね。でも、大学へは進学したんですよね?

 はい。高校中退後、「このままではマズイぞ」という気持ちがありました。それに、当時「オレンジデイズ」という大学生の若者を描いた青春ドラマが放送されていました。これにハマった私は、浅はかな理由ではありますが「大学へ行って青春がしたい」と思うようになりました。そしてその後、高卒認定を取得し、明治大学へ進学しました。

 大学進学後、すごく感動したことがあります。ある授業で、先生のお話に「おかしいな」と感じる箇所があったんです。だから授業の感想を書く紙に「私はそうは思いません」というようなことを書いたんですね。

 私が通っていた小・中・高校だったら、こんなことを先生に伝えても相手にされないで終わっていたと思います。でもその授業では後日、先生から長いお返事をいただいたんです。内容は忘れてしまったけれど、1人の人間として扱ってもらった気がして、すごくうれしかったです。

政治家になる2つのきっかけ

――政治家になるきっかけはどのようなものだったのですか?

 2つの大きなきっかけがあります。大学在学中、スペインを旅行しました。そして現地のスペイン人の友だちと「中学は何をしていたの?」という話になったんです。

 こういうとき日本では「不登校だったよ」と正直に話すと、なんだかとても、かわいそうに思われることがありますよね。でも私の場合は、不登校中もネットゲームの世界でギルドマスターとして活躍していましたし、それなりの人生があったんですよ(笑)。

 でもそうした人生も「かわいそう」と受け取られてしまうことで、なかったことにされてしまうんです。しかし、スペインではちがいました。「学校へ行かず、家にいたんだ」と説明したら「それはスペインではホームスクーリングと言うんだよ」と言われました。その言い方がとても自然でした。悪いことでも、かわいそうなことでもなく、ふつうのこととして「あなたはそうなのね」と受け取ってくれたのです。衝撃を受けました。

 そのとき思いました。ずっと、学校へ行けない自分が悪いと思っていたけれど、そうではなくて、私のような子どもに学ぶ環境を充分に提供できていなかった社会に問題があるんじゃないか、と。こうした問題意識に目覚めたのは、自分のなかでの大きな変化でした。

 政治家になるもうひとつのきっかけは、私が政治学科にいて「議員インターンシップ」に参加したことです。議員インターンシップとは、国会議員の事務所へ行ってお手伝いをすることで大学の単位が認められる、というものです。スペインで社会を問うことに気づいた私は「政治」という場も見てみたいと思ったんですね。

 最初はある野党の政治家の事務所へ行きました。そこでは「おかしいことはおかしいと言っていいんだ」という空気があたりまえのようにありました。「政治という場なら、自分の思ったことを言えるんだ」と思いました。その後もさまざまな事務所へお手伝いに行って、選挙カーでのアナウンス係などをしました。

 そして、たまたま埼玉県の富士見市議会議員の方のところでお世話になっていたとき、その方から「やってみないか」と言われたことから、立候補しました。そのとき私は25歳。ちょうど選挙に出る権利(被選挙権)を得たときでした。

――25歳で「政治家になれ」と言われて、怖くなかったですか?

 たしかに不安はありました。ただ、考える余地がなかったというのも正直なところです。当時は将来に悩んでいました。じつは大学在籍中に就職活動をして、内定までもらった会社もあったんです。でもその会社におかしい部分を感じてしまって、辞退したんですね。自分にできる仕事ってなんだろう、と考えていたころにお誘いいただいたので「これが私の道なのだろう」と。もう勢いで決めましたね。それから6年。現在31歳になり、市議会議員としては昨年、3期目の当選をさせていただきました。


加賀ななえさん

私が目指すもの

 私が目指すゴールは不登校を理由にした差別がなくなることです。あたりまえに多様な学びや生き方を選択できるようになってほしいです。そのためにできることはなんでもやりたいと思っています。

 具体的に取り組みたいのは適応指導教室の充実です。「教育支援センター」と名称変更された自治体も多いですが、富士見市では「適応指導教室」のままです。また市内に1カ所しかないんですね。もっと利用しやすく、子どもが安心できるような場になるように現場の方たちと協力をしていきたいです。ほかにも不登校の子どもの学習支援の充実や民間のフリースクールに対する助成など、やりたいことはたくさんあります。

――加賀さんが10代のころに感じていた生きづらさは解消されましたか?

 それが、大人になっても全然解消されないんです。今のほうが当時よりも生きづらさが強まっているようにすら感じます。10代のころからずっと、私は世界の「基準」からはずれているというか、世界に私の居場所がない、という感覚のなかにいます。

 くわえて、政治家という仕事は孤独を感じやすい仕事なのかもしれません。市民の方とお話する機会はたくさんあるのですが、陳情する側とされる側、という感じで水平的な関係が築きづらいんです。プライベートでも友だちができにくかったりします。

つらいことも

 正直、政治は年上の男性が中心の世界です。女性であることで、ほかの議員と扱いがちがう、ということもありました。私自身、人並み以上にがんばらないと評価されないという気持ちでいるようにしています。だから毎日かならず駅前に立ちますし、陳情に対してすぐ取りかかる、仕事で絶対に成果を出すなど、がんばっています。それが「つらくないか」と言われたら、つらい部分もありますね。市議会議員は自分のやるべき道だという確信があるので、辞めようとは思いません。でもときどき、誰も知らない南の島へ行って、大きくてかわいい犬を撫でながら生活したいなと夢想することもありますよ(笑)。

ですから今日、不登校経験者のみなさんとこうしてお話できて、とってもうれしいんです。世界に私の居場所がないという感覚は、不登校を経験された方ならご理解いただけると思います。でもそうした生きづらさは自分だけの問題ではなく、社会の問題でもあるんです。「個人的なことは政治的なこと」という言葉があります。自分の生きづらさはひとつの社会課題であり、政治的に解決できるのだ、という考え方です。たとえ自分が世界からはみ出しているように感じても、変えていくことができます。

 最近、支援者や親世代の方から「不登校でも大丈夫! 生きているだけで充分よ」というようなお話を聞くことがあります。おっしゃることはよくわかります。でも当事者からしたら、まったく大丈夫じゃないですよね。不登校になったら社会的に孤立するのでメンタルもしんどいし、フリースクールへ行くにしても金銭的な負担が大きいし、学校へ行かなかった期間はそのときにすごした時間をなかったことにされがちです。やはり現状では、大丈夫ではないんですよ。だからみなさんといっしょに、心から「不登校でも大丈夫!」と言えるように、社会を変えていきたいです。(了)

【プロフィール】加賀ななえ(かが・ななえ)
 1991年、埼玉県生まれ。高校中退後、アルバイトをしながら高等学校卒業程度認定試験を取得。2014年、明治大学政治経済学部政治学科を卒業後、2016年7月に富士見市議会議員補欠選挙に25歳で初当選(現在3期目)。不登校の多様な学び支援をはじめ、子ども・女性の権利を守る取り組みを推進している。

関連記事

中学は生徒会長、高校は不登校 苦しさの根底にあった父親の呪縛

591号 2022/12/1

不登校で不安障害だったサッカー選手が不登校の子に伝えたいこと

591号 2022/12/1

【全文公開】小中高すべてで不登校した私が高認に合格するまでの10年間

590号 2022/11/15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

591号 2022/12/1

勉強ができ、中学では生徒会長も務めた中村勇樹さん(仮名・22歳)。しかし高校入…

590号 2022/11/15

小学5年生のときに不登校した山下優子さん(仮名)は、その後、「ふつうになりたい…

588号 2022/10/15

不登校という同じ状況においても、娘と母で見えることはちがってきます。親子ゆえの…