不登校新聞

591号 2022/12/1

【全文公開】部屋にこもり親を遠ざける息子 固く閉ざされた心を溶かした父の対応

2022年11月29日 15:52 by 匿名
2022年11月29日 15:52 by 匿名

 「あのころは自分が不登校の親であることが恥ずかしかった」。率直に過去を振り返る松本雅彦さん。ですが、あるきっかけから不登校の息子を受けいれることができたと言います。そのきっかけとは、自身の仕事でのつらさ。「キツイ仕事に行きたくない」という気持ちが、学校へ行けない息子さんに重なったのです。今は不登校支援に携わり「まつぼん」の愛称で親しまれる松本雅彦さんに、息子さんとの関係についてお話を聞きました(※写真は松本雅彦さん)。

* * *

――お子さんの不登校のいきさつからお聞かせください。

 息子が不登校になったのは中1の7月からです。全校集会の途中でお腹が痛くなったことが始まりでした。学校から息子の具合がよくないと連絡があり、妻が迎えに行ってその日はそのまま病院の内科で診てもらいました。でも、どこも悪くないと言われて。

 当初、私は「もともと活発な子だし、ちょっと体調を崩しただけだろう」とあまり重く考えてはいませんでした。その日は木曜日だったので、次の日休んで、土日もゆっくりすれば回復するだろうと思っていたんです。ところが月曜日になっても息子はお腹が痛いと言って学校へ行かず。この日から不調を訴えて行きしぶるようになりました。

 私も妻もきびしく子育てしてきたため、最初は息子を無理矢理にでも学校へ行かせようとしました。学校は行かなきゃいけないものだと思っていましたし、一度学校へ行けたらまた以前のように毎日登校する生活に戻れるだろうと考えていたんです。でも息子は布団をかぶって一向に部屋から出てこようとしませんでした。なんとか行かせようといろんな方法を試しましたよ。力ずくで体を引きずったり、泣き落としを演じたり。といっても、息子が行きしぶるようになった翌週から私は長期出張で家を空けることになり、それ以降息子のことは妻に任せきりでした。出張中は毎朝妻からLINEで、今日は行けたかどうかの報告を受けていました。ときには息子も観念して学校へ行くことがあったようです。でも、半年経って私が出張から帰るころになっても、結局息子は「学校へ毎日行く生活」には戻りませんでした。むしろ状況は悪くなって、息子は私たち親を遠ざけるようになりました。自分の部屋に閉じこもって会話をしようとしないし、いっしょに食事を取ることもしなくなってしまったんです。

――まつぼんさんは当時、どのような気持ちでしたか?

 とにかく不安でした。息子が不登校になった当初は私たち親が立ち直らせてあげられると考えていたのですが、何をやってもうまくいかなくて。このままでは息子は社会から外れて、まともな人生を送れないのではないかと心配でたまりませんでした。また私のなかには、「不登校の子どもを持つ親」とまわりに認識されるのが恥ずかしいという気持ちがありました。ただ視野が狭かっただけなのですが、学校へ行く以外の生き方を知らないために、学校は毎日行くもので、行かないのは怠惰だと考えていたんです。その考えで息子を見ていたので、怠けている子の親であると見られることを恥ずかしく思っていたんですね。


松本雅彦さん

妻は親の会へ

 一方で、妻は息子が不登校であることを職場で話していたようでした。仕事を途中で抜けて息子を学校へ送ることもあったので、職場の人にはよく相談をしていたみたいです。それでちょうど私が出張から帰ったころ、同僚から「不登校の親の会というものがあるみたいだよ」と聞き、妻はひとりで親の会へ参加するようになりました。

 当時の私は正直言って、親の会にそんなに期待していませんでした。そこへ行って何が変わるんだろうと半信半疑で。だから妻といっしょに行く気がなかったんですよね。でも妻が通うようになってすぐ、「おや?」と思い始めたんですよ。というのも、妻は親の会へ行くと、すごく明るくなって帰ってくるんです(笑)。「不登校のことを話してきたはずなのに、なんで?」と不思議でした。

 妻は親の会で聞いてきた話を、私に熱心に話してくれました。「学校へ行かない選択肢もある」ということや、「不登校がよくないと思っているのは親で、親が悪いと言うから悪いことになってしまう」という見方など、どれも私にはない新鮮な考えばかりでした。

 しかも、妻はめちゃくちゃ明るく笑いながら親の会のことを話すんですよ(笑)。その姿を見て私は、「親の会ってすごいところなんだなぁ」と興味を持ちまして、自分も行ってみることにしました。

 いざ行ってみると、不登校のイメージがますます変わりました。子どもが不登校だったという親の人や、不登校当事者だった人に出会って、「不登校でも大丈夫なんだ」と思えるようになったんです。そう思えた1番のきっかけは、かつて不登校だったという大学生が人前で臆せず自分の経験を話している姿を見たことでした。「本当に不登校だったのかな?」と思うくらいその学生は堂々としていたんです。息子が不登校になってからというもの、この先わが子の明るく元気な姿なんてもう見られないんじゃないかと思っていたので、その学生の生き生きとしたようすに希望を持ちました。うちの子もこんなふうになれるかもしれないと。結局私は、「不登校の先」を生きている人を知らなかったから偏見や不安を抱いていたんだと思います。

――その後、息子さんにはどう接するようになったのでしょうか?

 息子が中2になってからは、いっさい登校刺激をしませんでした。また、学校へ行かない代わりに何かをするように指示したり、逆に学校へ行っていないから、これはしてはいけないと禁止ルールを設けたりすることもなかったです。妻といっしょに、とにかく息子にとってわが家が安心安全な場所になるように努めました。息子を自由にさせるようになったのは親の会でいろいろ学ばせてもらったからというのもありますが、私自身が息子の気持ちに寄り添えるようになったからでした。じつは私は出張中に、息子と同じような苦しみにぶつかったんです。息子が学校へ行きたくないように、私も仕事へ行きたくないと悩んでいました。

息子のつらさがやっとわかった

 私は当時IT関係の仕事をしていました。20数年やってきた仕事だったのですが、出張時にもっともきつい業務を経験して、仕事へ行くのがイヤになってしまったんです。何かから逃げたいと強く思ったのは人生で初めてのことでした。ただ、仕事は学校と同じく行かなきゃいけないものと思っていましたし、任せられていることはやり遂げなければと葛藤して、夜眠れなくなったり朝起きられなくなったりしていました。

 いっしょに仕事をしていた同僚にも疲れが出ていて、上司に「このままだとみんなつぶれてしまいます」と相談もしてみたのですが、上司はまともに取り合ってくれませんでした。このときの行き場のないつらい気持ちが、息子のようすを見ていると思い起こされて、がんばって学校へ行こうと声をかけるのは、ちがう気がしたんですね。疲れ切っている心身にムチを打って無理して行くのはすごくつらいことです。自分が経験したことで息子の気持ちがすこしわかって、息子を苦しめることはしたくないと思いました。

――まつぼんさんの考えや接し方が変わることで、息子さんにも変化はありましたか?

 はい、すこしずつでしたが息子は元気を取り戻していきました。妻と私が学校へ行かないとまともな人生を送れなくなるんじゃないかと不安を抱えていたころは、息子も将来を悲観していて、「俺って生きている意味あるのかな」とぼやいたこともありました。でも親の私たちが学校へ行かない生き方もあることを言葉や態度で示すようになると、息子は気がラクになったようでした。心を固く閉じて私たちを避けていたのが、リビングでいっしょにすごせるようになったんです。私たち親の変化は彼にとってプラスになったんじゃないかと感じています。

 今になって思うのですが、子どもを変えようと奮闘するより、親がまず変わったほうがよっぽどかんたんで、おたがいが元気になる一番の近道でした。私は息子の気持ちを理解しようと「日本メンタルヘルス協会」というところで心理学を学んだのですが、その過程でも他人を変えることの難しさを知りました。他人を変えようとすることは、「あなたはまちがっている」と考えを否定することになってしまいますし、うまくいかないものなんです。だったら自分が変わるしかない。私の場合は仕事で壁にぶつかり、社会のレールに沿って生きてきた人生に疑問を持ったことが価値観を変える後押しになったんじゃないかと思っています。

 大人が長い時間をかけてつちかってきた価値観を変えるのはとてもたいへんなことです。でも、「今までこうあるべきと思ってきたことって本当にまちがいないことなのかな?」と自分に問いかけてみると、ほかの見方を受けいれる余白ができるような気がします。余白ができたらあらためて現在地を見つめてみてほしいです。今、子どもは何が苦しいのか、親は何が苦しいのか、どう癒したらいいのか。何にもとらわれずに考えられたなら、きっと家族全員がラクになる方法が見つかると、私は経験から感じています。

――ありがとうございました。(聞き手・遠藤ゆか、編集・本間友美)

【プロフィール】まつぼん 松本雅彦(まつもと・まさひこ)
「不登校支援オフィスここるーむ」代表。福岡市を中心に夫婦で不登校支援を行なう。おもに不登校の親としての経験を基にした不登校相談や親の会を開催している。また心理カウンセラーとして、心の仕組みや親子の関わり方に関する支援活動にも取り組む。

「ここるーむ」活動紹介
私たち夫婦(まつぼん・ちず)は、福岡県福岡市を拠点にカウンセラーとして活動しています。私たちの願いは「子どもも大人も自分軸で幸せに暮らせる社会」をつくること。2人の息子が不登校した経験をもとに、講演活動や不登校・ひきこもりの個別相談(対面・オンライン)、親の会なども行なっています。詳しくは「まつぼん ここるーむ」で検索してください。

関連記事

「あなたは誰より大切だよ」不登校を経験した4児の母が、あのころ一番欲しかった言葉【全文公開】

624号 2024/4/15

「僕、先週死んじゃおうかと思ったんだよね」小5で不登校した息子の告白に母親が後悔した対応

623号 2024/4/1

「原因を取り除けば再登校すると思っていた」不登校した娘の対応で母がしてしまった失敗から得られた気づき【全文公開】

623号 2024/4/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

625号 2024/5/1

「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…