
10月19日に行なわれた読者オフ会in名古屋。今年、行なわれた第1回目の読者オフ会で講演テーマとして要望の強かった「自己肯定感」について、本紙代表理事の多田元が講演を行なった。
なぜ自分を否定するのか
本日はようこそ、多田法律事務所にお越しくださいました。30人も来ていただいてますので、この狭い事務所ではたいへん窮屈だと思いますが、どうぞ気分だけは楽にしてください。
さて今日の本題は「自己肯定感」です。「自分が好きではない」という人は、学校に行っている人のなかにもたくさんいます。大人だってそうですし、私自身も、よく自己嫌悪に陥ったり、子どものころをふり返れば劣等感が強かった子だなと思います。言ってしまえば、人間は自分の好きなところもあれば嫌いなところもあるのが当たり前です。しかし、その「当たり前の感覚」が奪われて、ある一つの視点から、自分のすべてが否定された気になってしまうことがあります。これが今日のテーマです。
まず「自己肯定感とはなにか」と言いますと、これは「アイデンティティー」ではないか、と考えています。「子どもの権利条約」でも第8条に「子どもはアイデンティティーを保持する権利があり、それを奪われてはならない」と記されています。
しかし、ユニセフの調査によれば、先進諸国(OECD)のなかでは「一人ぼっちだと感じる子ども」が、日本は断トツの29・8%。平均値は7%です。
小学5年生~6年生の子どもを対象にした子ども社会学会の調査では「自分が好きではない」と答えた男子が33%、女子は44%でした。また「明日もきっといいことがあると思いますか」という質問に肯定的に答えたのは男子30%、女子35%と、裏を返せば7割程度の子どもが明日への期待感を持っていません。
一方、国連子どもの権利委員会は日本政府に対し、2010年に「高度に競争主義的な学校環境が、子どものあいだのいじめ、精神的障害、不登校、高校中退、自殺などに寄与していることを懸念する」という勧告を出しています。同様の勧告はこれで3度目です。
私には、子どもたちが「明日に期待を持てない」と思っていることと、「過度な競争的環境」がつながっているように感じてならないのです。親は子どもが元気に学校に通い、できれば将来のために「いい成績を残してほしい」と考えます。それはそれで当然のことですが、その思いが行きすぎると子どもにとっては圧力。子どもは、みんな根はいい子なので、周囲の期待に応えようとガマンをし、自分のやりたいことを抑えています。ガマンができずにテレビやゲームをすれば「わがままだ」とも言われてしまいます。たしかに、こんななかでは、明るい明日はイメージできないでしょう。しかも、こうした状況のなかで「成績が悪い」、あるいは「学校自体に行ってない」となれば、親も子もどうしていいのかわからない。これはひとつだけの視点で支えようと思っているからなんです。総合的に支えるのはどうしたらいいのか、あるケースを紹介します。
お母さんを裏切ったから
以前、17歳の女の子と出会いました。彼女が少年鑑別所でリンチに加わってしまったからです。私は最初の面会で「自分のことは好き?」と聞くと彼女は即座に「嫌いです!!」と。なかなか話もしてくれませんでしたが、ある日、事件について聞いていると、彼女が何を言っても調書をとった刑事は「お前がやったんだろ」とか、「まわりはそう言ってない」と押しつけてきたそうです。彼女は私にその不当性を訴えたかったのではなく、その刑事のようすが自分の父親と重なって「ものすごくうざかった、悔しかった」と。そう言って眼の端から涙をこぼし、「人前で泣いたことはないのに」と言ったんです。私は「僕のことはお地蔵さんだと思って、泣いていいんだよ」と言うと、彼女は少し笑ってからワーッと泣き始めました。この日は、もう何も聞けず、ずっと彼女が泣いている姿を見ていました。とても美しい涙でした。
次の日、彼女の顔つきが変わっていました。視線が柔らかくなり、会えばケンカばかりのお母さんとも仲よく話していました。それからはたくさんの話を聞きました。小さいころから父親のDVで両親は離婚。母親に迷惑はかけたくないと彼女なりにいろんなことをがんばっていましたが、高校生のとき、権力的な教師とぶつかり、不登校をして高校を中退しています。彼女が「自分はキライ」と言っていた一番の理由は「お母さんを裏切ったからなんだ」と。苦労して高校に入学させてくれたのに卒業できなかったことをずっと引きずっていたんです。審判では彼女の変化が認められ、家庭へ戻されました。

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