
今回のインタビューは安達倭雅子さん。安達さんは子どもたちへの性教育に関する取り組みを続けており、また「チャイルドライン」など、子どもの電話相談員なども長年務めている。近年、いたるところで聞く、子どもの自己肯定感の低下と性教育とのつながり、また家庭での性教育のありかたなどについて、うかがった。
――最近、子どもの自己肯定感が下がっているとよく言われます。
自己肯定感というのは、子ども、若者、年寄りが低くて、真ん中の世代の人が高いものだと思います。妻子がいるとか会社に部下がいるとか、誰かを養っていたり頼られる立場にある人は自己肯定感を高く維持できるんです。ところが子どもの場合「ま、いっか」と思えないと、心が折れやすいんです。「ま、いっか」というのはおざなりな意味ではなく、「欠点はたくさんあるけれど、自分には生きていく価値がある」ということに気づいているがゆえに出た言葉か否か、そこが重要だと思います。――子どもにかぎらずとも、「どうやって自己を肯定するか」という問いに向き合う場合、「いのちをどう捉えるか」という、原点に立ち返ることが自然なのではないかと思うのですが。
おそらく、その考え方はまちがっていないと思います。では、性教育と自己肯定感の接点はどこにあるのかというと、「いのちのからくり」にあると、私は考えています。なぜ、私がここにいるのかと言えば、とてつもない偶然の重なりによるものです。たとえば、女性が一生のあいだにひとりかふたりの子どもを産むとして、排卵する数はおよそ450個だと言われています。私には子どもが2人いますが、使わなかった440個以上の卵子はどうなっちゃったんだろうということになります。男性の場合は無限とも言える数なわけで、めまいがするような奇跡の積み重ねのうえに「あなた」がいる。そうしたことを教えることが自己肯定感の基礎につながると言えます。
とはいえ、そうも言ってられない場合もあります。先日、ある養護施設の職員の方から「あなたのいのちは親からもらった大切なもの」ということを強調しすぎないという話を聞きました。親から捨てられたと感じている子どもにとって、そのロジックは「やっぱり自分はダメな子どもだったんじゃないか」と、かえって自己肯定感を負の方向に刺激してしまうというんです。そこで、子どもにこう話すそうです。「親がしたことはセックスだけだ。受精も着床もあなた自身がしたことだ。そのときにはすでに親とは別の心臓が動いていて、親とは別のキャラクターとしてのあなたが存在しているのだ」と。
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