不登校新聞

285号(2010.3.1)

【公開】わが家の場合「ひきこもり人から離れられないわけ」

2019年08月06日 12:38 by nakajima_

 毎月、何度も「ひきこもりの経験者」という人々といっしょにすごす。それは、考え合う場であったり、本を読む場であったり、まったりすごす場であったり。出会い、語り合い、飲んで食べて……。個人的に出会って集中セッションすることもある。話が尽きなくて5~6時間があっというまにすぎる。「あ~、楽しかった」翌朝、心がとても元気になっている。いわば私はひきこもりオタク、ひきこもりファン。

 わが子2人が不登校で1980年代から不登校に関わってきたが、子どもたちはとっくに成人し、それぞれの道を歩んでいる。なのに、いまだに「ひきこもり」に関わり続けているのは、なぜか? 外から見ると不思議らしい。

 あえて言うなら、それは「苦しさ体験の同志の姿」と「不可解さの謎を解く鍵」を彼らのなかに見いだしたから。ここからはとても個的で特殊な話になる。

 じつは私の夫はとてつもないギャンブラー。今日まで何とか食いつないできたけれど、それはたいへんな道のりだった。苦心惨憺、ようやく貯めたお金はいつも 借金の穴埋めに消え、ついには持ち家一軒、きれいになくなった。自助グループを訪ね、夫も参加したが「オレはオレ」で、それっきり。

 ただし夫の人柄は、このうえなくいい。人からは「問題のある夫はみんないい人。あなたが夫に共依存している。別れたほうがいいよ」の助言。それでも私は夫の魂の奥に光るものを感じて離れられない。逡巡と絶望のくり返し。

 苦しい、苦しい、苦しい。なぜなの? 人間ってなに? 人生ってなに? 生きるってなに?

私は人生に期待され 他者は生きるに任せる

 結局、夫は変わらなかったけれど私が変わって浮上した。180度転換。きっかけはV.E.フランクルの『夜と霧』。「人生に期待するのではなく、私が人生に期待されている」。R.シュタイナーの『自由の哲学』も大きな支えになった。「自らの行為においては愛に生き、他者の行為はその意志を理解しつつ生き るに任せる」。

 う~む、私は人生に期待されているし、他者は生きるに任せればいいのか……。

 私が苦しさの底から出てきたとき、この世で一番、話が通じるのがひきこもりの人々だった。立場はちがうけれど苦しさの経験では同志だった。

 もう一方では夫と同じように不可解でもあった。しかし話は通じる。通じるから少しずつ近づく。すると不思議なことに夫の不可解さが解けてきた。夫の姿が少しずつ見えるようになった。責めるのではなく受け止めることが、ひきこもりの人々を経由してできるようになった。

 不登校にも、ひきこもりにも、そしてギャンブラーの夫にも、この世間ではおさまりきらないセンサーがある。内にこもるか、外に発散するかのちがいはある が、同じ根っこがある。私にも似たところはある。なぜならそういう夫といっしょになったのだから。そういう子どもの母親だったのだから。

 そんなわけで私にとってひきこもりの人々は、「同志」であると同時に「人生の謎を解く鍵」なのだ。私はいま、そういう彼らとベーシック・インカム(無条件の所得保障)について学び始めている。私の人生、これからも「ひきこもり人」とともにあるにちがいない。

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