不登校新聞

283号(2010.2.1)

いのちとはなにか「川本隆史さんに聞く/下」

2013年12月10日 16:51 by kito-shin


 前回に引き続き、社会倫理学者の川本隆史さんのお話を掲載する。

権利の編み直し


――子どもの権利条約だけでなく、権利という発想が日本社会に根づきにくいという傾向については、どうお考えでしょうか?
 「権利」は、権力の「権」と利益の「利」から成っています。この二文字の熟語は「肩をいからせて、自分の利益を強弁する」といった場面を連想させがちです。だけども形容詞「ライト」へとさかのぼることで、「あるものごとに関する正当な要求をまわりの人が納得ずくで保障してくれること」という「権利」本来の意味合いを思い起こせるはずでしょう。

 福沢諭吉は、「ライト」を「権理通義」と訳していました。「相手に通じる正しさ・筋の通った要求」を指し示そうとする工夫です。この翻訳語の最初の二文字が独立して「権理」となり、そのうち「理」が「利」に置き換えられていきました。権利に、もともと備わっていた「相手に通じる正しさ」という側面が捉えにくくなったのは、こうした事情にもよるのでしょう。

 権利が根づきにくい日本の社会の現状を見直すには、言語と社会の歴史が手がかりになります。「ライト」という外来語が盛んに論議されるようになったきっかけのひとつが、明治初期の自由民権運動です。藩閥政府への攻撃は、「民権」を拠りどころとすることで幅広い支持を得ていきました。

 急進化した民権運動を沈静させようとして、「国会開設の詔」(1881年)が下され「大日本帝国憲法」(1889年)が発布されます。この欽定憲法には、天皇から賜った「臣民の権利」、中江兆民の言い回しを借りると「恩賜の民権」が並べられているにすぎません。本来は「それを失うと自分が自分でなくなり、それを奪うと相手が相手でなくなるような大事なことがら」を取り戻そうとする「回復の民権」であったものが、天皇からのお恵みのようなものにすり替えられた。そんな歴史的な背景もあって、権利が日本社会の暮らしに根ざしにくくなっているのでしょう。
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