この10年間も、私はひたすらあちこちを歩いた。講演が多かったが、そこで出会った事実を確認するため再訪したりもした。それは取材であった。
90年代の末ぐらいから感じる一つの流れがある。それは「絶対的な正しさ」というものに疑問を抱かない人の増加である。もっと正確に言うと「絶対的な正しさなんてあり得ない、そんなものを国や自治体が主張するのはおかしいという意見にイラつく人の増加」だ。
90年末、私はある雑誌のコラムに「早寝早起き朝ご飯」を強要するのはやめてくれ、大きなお世話だといった趣旨の文を書いた。すぐ反論が来た。「自分は4人の子を育てている。早寝をすると早起きになり、よく食べるし、そのリズムは大切ではないか。何にでも反対するのはおかしい」と。
もう20年も昔、ドリフターズというお笑いグループがあった。当時はドリフと言っただけでわかってもらえたが、今はちょっと説明が要る。このドリフがドタバタ笑わせた後、最後にメンバーのひとりが、会場やテレビで見ている子どもたち(このグループは子どもに人気があった)に向かって呼びかける。「宿題やったか?」「歯みがけよ!」「ごはんいっぱい食べろよ!」などと。当時小学生だった私の息子はろくに歯もみがかないし、宿題もやらなかったのに、テレビに向かって「うんっ」などと力強くうなずいていた。
こんなふうに「早起きしろよ」と伝えられるのはいい。近所のおじいさんに、「早起きは三文の徳」などと教えられるのもいい。父親に「早く寝なさい」と言われるのも当然あること。しかし、こういうことを国をあげて、具体的には学校とか健全育成会とか"組織”を通して伝えるのは、ちょと待ってほしい。伝えられる中身がいいか悪いかの問題ではなく、どこが、どんな意図で、個人の領域に入ってくるかに注意したいのである。
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