「社会的ひきこもり」論から「存在論的ひきこもり」論への転換がこの問題に関して私が自分に課した緊急のテーマになっている。

 このような転換が必要と考える最大の理由は、「社会的ひきこもり」論が否定を核にしているということにある。肯定を核にした「存在論的ひきこもり」論を始めるためには、それゆえ「社会的ひきこもり」論を核において成立させている否定性とそれがもたらした事態を明らかにし、「社会的ひきこもり」概念、「社会的ひきこもり」像を実態に即して解体することが不可欠となるのある。

 あらゆる「社会的ひきこもり」概念(たとえば斎藤環1999)は、引きこもるという状態像を否定すべき事態と捉えるところから出発している。否定的な姿勢は必然的に、そうした否定的状態像は改善されなければならないという姿勢へと強化される。引きこもるという状態像を改善すべき対象とみなす姿勢は、次にどうすれば改善できるか、という具体的な課題を離陸させる。さらにそこから、誰がその改善の役割を担うのかという問いが自動的に紡ぎ出されていく。

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