今号から新連載「私に起きたコト」を開始します。執筆者は不登校経験者の伊藤友子さん(仮名)。両親の不仲、いじめ、不登校などの末に伊藤さんが抱えることになった「統合失調症」という病。本連載では、伊藤さんの体験談を当事者手記として、全6回に分けて連載する予定。
vol.1「私と親」
「統合失調症」という病をご存知ですか?
初めて聞く方、聞いたことはあるけれどいまいち実態が分からない方、「そんなの知ってるよ!」という方、さまざまだと思いますが、やはりまだまだ、一般的には謎に満ちた病なのではないかと思います。
私はそんな謎の病に、小学校のころにかかり、不登校を経験。いまは精神科のデイケアに通って、病状の改善にあたっています。私のそんな体験談が、何かの一助になれば幸いです。
何がなんでも期待に応えねば
私は小さいころから嫌われることに臆病でした。そして、他人に従順で、何か期待されると何がなんでもそれをこなさなければと気負ってばかりでした。たとえば、「本を一日一冊読まなければならない」はまだいいとして「おしゃべりに見えなくてはならない」「給食を食べるのが遅くなければならない」。ここらへんまでくると、もはや不可思議です。しかし、当時の私は必死の思いで親や教師の描く「私らしさ」に沿う努力をし、酸欠になるまでしゃべったり、給食をわざと少しずつ箸に取っていたのです。
そう、親は私に期待をしていました。小学校低学年のころは、いわゆる「できる子」でしたので、テストで百点を取り、美術も作文も入賞し、親の期待はエスカレートしていきます。
「では、そのころ、そんなにすばらしい作文を書いていたのか?」と気になって、当時の文集を引っぱり出してきたこともありましたが正直、少しぎょっとしました。小説によくありそうな「それっぽい文章」の"つぎはぎ”だったのです。そこに私自身の言葉は見当たりませんでした。
親とのあいだにぎこちないもの
また、小さいころから「家族と距離を置いてはいけない」という奇妙な義務感がありました。親とのあいだに、私は何かしらぎこちないものを感じていました。
そのぎこちなさをごまかすためにも、私は子どもらしく振る舞わなければいけませんでした。まわりが自分のことを「私」と言い始める年齢になっても、私は自分のことを「私」と言えず、ずっと「ゆう」と言っていました。また、両親を「おとうさん」「おかあさん」とどうしても呼べず、大きくなっても「パパ」「ママ」と呼んでいました。よそよそしい気がして、申し訳なかったのです。
原因は、家庭環境のゆがみにあったと思います。私の両親は仲が悪く、とくに父は子どもを育てるのに向いていない性格でした。
私が赤ん坊のころ泣くと、うるさがって母ともども家から追い出していたそうです。私は、父が好きな食べ物がいまでも軒並み嫌いです。そして、母は子どもを叱ることができませんでした。おそらく母は子どもに嫌われるわけにはいかなかったのです。誰にも相談できないなかで、母は味方を必要としていたのですから。
小学校の学年が上がるにつれ、そうしたゆがみの影響もあってか、私はいじめを経験し、不登校への道を歩み始めることとなります。(つづく)
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