『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』『さよなら、韓流』で話題を集める作家・北原みのりさん。2006年、不登校新聞社では作家として本格始動していく直前の北原さんにインタビューを行なっていた。「もっと楽しいフェミを表現したい」という思いの真意は……。理事・木村砂織さんが「印象的だった」と語ったインタビュー。
――学校に違和感を感じたことはありますか?
自分でも不思議なんですが、いまでも中学校のころの夢を見ますね。中学のころの複雑な人間関係の渦のなかにいるような、そんな気分にさせられるんです。あのころ、突然「女」「男」の枠組がしっかり引かれ、「女側」にむりやり、おかれた居心地の悪さがありました。夢には、「男子」がたくさん出てくる。「男子」に「お前は女らしくない」と言われるような、そんな夢ばかり。「ストレスを感じてたんだなあ」と今さらながらに思わされますね。
中高生のころは、生徒会なんかもやったりして、まわりからはイキイキしているように見えたと思いますよ。友だちに「キツイわ~」とか言える雰囲気があったし、ズル休みも許してくれる家でしたから。気楽だったぶん、「苦しい」ことを自分の言葉にできずにいたのかもしれないですね。
――女性問題に関心を持たれたのはいつごろ?
中学の1、2年生ごろです。よく覚えているのは、上野千鶴子さんが新聞に書かれていた男女雇用機会均等法についての記事です。この記事から、これまで男女が平等に働いていなかったことに驚いて、雑誌や新聞でむさぼるように情報を集めようになりました。
――大学卒業後、就職活動をされなかったそうですが。
就職活動の時期になって、会社名のリストを見た瞬間に「私はここで何をするの?」って疑問に思ったんです。それまで、「給料と会社名だけで就職先を決める」というような価値観のなかにどっぷり浸かっていたし、自分でも無意識に、働くことは会社でお金を稼ぐこと、人から尊敬されること、そんなふうに思ってました。もちろん、「女の人がイキイキして働ける」場があればいいと思っていました。ところが、社会にそんな場はないように感じたし、なにをやるのかわからないような、でも有名な会社に友だちはどんどん就職していく。もう意味がわからなくなっちゃって。「2年間、待ってください」っていう思いで、就職活動をせずに大学院へ進学しました。
◎エロ産業っていいなあ(笑)
――大学院を卒業後はどんな進路を?
すこし余裕を持つことができたので、自分の専門分野というか、「何がしたいのか」 がどんどんわかってきました。やっぱり、性や体のことを仕事にしたい、と。それで、手っ取りばやくエロ本の会社にアルバイトで働き始めたんです。
特殊な会社だったのかもしれませんが、働く人の半分以上が女性でした。それでも編集長や役員クラスは全員男でしたが、ビックリでしたよ。みんなエリート意識がないし、仕事でセックスを扱っているせいか、セクハラ的なことは一度もなかった。それまで、どこのアルバイトに行っても「みのりちゃ~ん」みたいな「若い女の子」扱いされることは当たり前にありました。けれども、あの会社で初めて名字で呼ばれ、企画立案に参加し、グラビアページを担当するなど、仕事を任せてもらえたのがうれしかったです。仕事自体は女性の商品化だし「矛盾があるなあ」っていう思いもありましたけど、職場は楽しかったです。「エロ業界っていいなあ」って(笑)。
――著書でセックスについて書いていますが、なぜ発信をしようと?
私は、どーしても体や性のことを発信できない理由がわからなくて。セックスについてはなんでコソコソ話なければならないのか、とっても息苦しかった。通っていた女子大では、みんな食堂でセックスについてしゃべるんですよ。でも、これはふつうの感覚ですよ。結局、問題があっても置き去りにされてしまうのが、体や性のことです。
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