不登校新聞

274号(2009.9.15)

専門家依存とレッテル 山下英三郎

2014年02月04日 14:01 by 匿名
2014年02月04日 14:01 by 匿名


「不登校を考える第20回全国大会」で行なわれたスペシャルシンポジウム「不登校 これまで これから」。登壇した内田良子さん、山下英三郎さん、喜多明人さんの講演録を掲載する。

◎不登校 これまで これから

 1986年、私は「教育現場において、子どもたちの声に耳を傾けるサポートが必要である」と考え、「スクールソーシャルワーク」(以下、「SSW」)という活動を始めました。

 きっかけは、70年代の後半から社会問題となっていた「校内暴力」でした。当時は子どもや親を責める論調が社会に蔓延していたのですが、私はちょっとちがうのではないかと感じていたんです。子どもたちがそういう行動に出ているなら、まず子どもたちの声を聞くことが先決なんじゃないかと。

 ちょうどそのころ、子どもたちの声を聞く「SSW」という活動がアメリカにあることを知り留学、帰国後に埼玉県の所沢市の教育相談員として活動を始めたのが、不登校との最初の接点でした。

 1992年の「不登校は誰にでも起こりうる」という認識転換によって、不登校を肯定的に見るむきが徐々に強まる一方、看過できない問題の一つとして、専門家に依存する傾向が次第に垣間見えるようになりました。97年のスクールカウンセラー制度の導入以降、その傾向は、より顕著になります。

 そのなかで私は98年以降、子どもと直接かかわる現場から、社会事業大学へと活動のフィールドを移しました。このことは、専門家依存の傾向の強まりとけっして無関係なものではなく、「専門家に相談してひどく傷ついた」という声をしばしば耳にしていたのがきっかけでした。相談者は「少しでも今後の見通しが立って楽になりたい」と思っているのに、「親の育て方が悪い」「甘やかせすぎだ」などと否定されたというのです。これはおかしいと思いました。そこで、相談を受ける側が相談者を傷つけることがないようにする支援が早急に必要であると考えたわけです。 

 2000年代に入ると、不登校は過去の問題となってほしいという思いもあり、「不登校はもういいか」と考えた時期もありました。しかし、自分の見通しが甘かったと痛感せざるをえないほど、02年以降の揺り戻しというのは大きなものでした。
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