不登校新聞

266号(2009.5.15)

子どもの権利、20年 喜多明人

2014年03月13日 12:07 by 匿名
2014年03月13日 12:07 by 匿名


 今年に入って、東京シューレの子どもたちが子どもの権利条約の学習会をしている、という話を聞いた。私にも講師をしてほしい、という要望があってとてもうれしかった。

 最近は、子どもの権利条約に熱心な自治体や学校、あるいはCAPセンターJAPAN(子どもへの暴力防止プログラム)などの市民団体が子どもたちのために、条約学習を含めて「権利学習」を行なっている例はあるが、子ども自身が自分たちの発想で子どもの権利条約の自主的な学習をすすめている、という例はたいへんめずらしい。

 日本の子どもと参加意識の分岐


 子どもの権利条約採択後の20年、その前半期に当たる1990年代は、子どもたちが自分の環境を変えていくために子どもの権利条約を学んだり、生かそうとする動きが活発であった。

 私が知るかぎりでも子どもの権利条約を広めていくために「10代の会」をつくった子どもグループ(東京、札幌=フリースクール「さとぽろ」)、学校に不満を持つ子どもの会(大阪)、あるいは生徒人権プロジェクト(千葉県生徒会連盟)などの活動があった。大阪の子どもの会が中心となり、赤松文部大臣(細川内閣当時)に手紙を出し、それがきっかけで「丸刈り校則」がなくなったことはあまり知られていない(*1)。
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