
連載「フリースクールの30年史」
本連載は「第6回日本フリースクール大会」内で行なわれた「子どものニーズはどう変わってきたか」の講演を抄録したもの。シンポジウムでは、居場所設立者による「フリースクールの30年史」が語られた。
本連載は「第6回日本フリースクール大会」内で行なわれた「子どものニーズはどう変わってきたか」の講演を抄録したもの。シンポジウムでは、居場所設立者による「フリースクールの30年史」が語られた。
東京シューレ 奥地圭子さん
1980年半ばの状況をお話したいと思いますが、まずは私自身の話からいたします。私の長男は1978年に不登校をし、私はたいへん悩みました。2年ほど苦しんだのち、児童精神科医・渡辺位さんと出会い、「子ども側に立って考える」「自分のなかの学校信仰を問い直す」ということを学びました。渡辺さんが開いていた院内の親の会「希望会」に参加したことも大きかったです。この希望会が10周年を迎えたとき、私が担当して『登校拒否・学校に行かないで生きる』(太郎次郎社/1983年11月刊)を出版しました。この書籍が大反響を呼び「希望会に入れてほしい」という問い合わせが殺到します。しかし、病院がこれを拒んだため、「誰でも入れる親の会を立ち上げよう」と思い、「登校拒否を考える会」を1984年に立ち上げました。
当時の教育状況は、管理・競争教育が広がり、学校に苦しむ子が増加していった時期です。当然、学校と距離をとる子が増えてきますが、一般的には登校拒否は「怠け」「病気」「子育ての失敗」という見方が強かったです。国も「子どもや親の性格が悪いため登校拒否になる」という趣旨の手引書を堂々と発行する時代でした。
首縄時代と運動
1980年代は、登校拒否をする子は一人の人間としてみなされず、首に縄をつけてでも行かせようとした時代でした。
それは同時に「状況を変えたい」という動きが始まった時代でもありました。1985年、登校拒否を考える会が母体となり、「東京シューレ」を開設。考える会の親たちが回を重ねるごとに変わっていくと、同時に子どもたちも元気になってきました。元気になった子どもたちは「スポーツをやりたい」「行くところがない」と口々に言うようになり、その思いに応えるため居場所をつくったんです。最初はちいさな雑居ビルの一室でした。
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