写真左から、奥地圭子さん、渡辺砂美さん
5月11日、岩手県一関市にて不登校の子どもをもつ親のシンポジウム「わが子の不登校とどうかかわってきたか」が開催された。主催はNPO法人「東京シューレ」。宮城、福島のほか、東京、千葉から、不登校の子どもを持つ母親4名が登壇した。「わが子の不登校のきっかけ」「親としての不安」に加え、「子どもが元気になったきっかけ」などについて、各々の不登校談が語られた。司会は奥地圭子。
先を見すぎない 渡辺砂美さん(福島)
いま19歳の娘は、小学1年生から不登校です。
幼いときから人見知りが強くって、親以外には誰にもなつかない子でした。幼稚園もだいぶ休みました。小学校に入学してからも、スムーズに通ったのは最初の1週間くらいで、「行きたくない」と言うことが増えてきました。
でも親としては、これも人見知りの延長で起きていることで、少しでも私たちから離していったほうがいいんじゃないかと思いまして、学校に行くように促していました。
私のそばを離れずに…
でもだんだん娘のようすがおかしくなってきまして、朝起きると「行きたくない、行きたくない」と壊れたテープレコーダーみたいに何回も言いながら泣くんでね。
そのうち服を着ないとか、朝ご飯を食べないとか、トイレに行かないといったことが続き、とうとう私が根負けして、学校に促すのをやめたんです。
不登校をした後、最初の1年くらいは、住んでいるアパートのまわりしか外出できませんでした。留守番も難しくって、私から離れませんでした。朝から晩まで「お母さん、お母さん」と100回でも200回でも呼びました。1年生から2年生のころだったと思います。
娘はずっと家ですごしていたのですが、家で何をしていたかというと、ごくふつうです。朝、昼、夕と、ご飯を食べて、いっしょにお菓子をつくったりもしました。また、飼っていたハムスターや金魚のお世話をしたり、トランプやUNO、折り紙など、朝から晩まで遊んでいました。
「学校に促したって行かないんだから、今は娘のしたいことをして、この時間を楽しんでいこう」って決めていました。
そうしていたら、娘のようすは徐々に落ち着いてきました。私にはべったりくっついていましたけど、だんだんとお出かけや留守番ができるようになったんです。
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