不登校新聞

388号 (2014.6.15)

第4回 フリースクールが応えたニーズとは 90年代後半編

2014年06月24日 17:15 by kito-shin

シンポジウムのようす。写真左から江川和弥さん、中林和子さん

連載「フリースクールの30年史」

 シンポジウム「フリースクールは子どものニーズにどう応えてきたのか」の講演抄録第4弾。今号は90年代後半にフリースクールを設立した設立者の話。

中林和子さんの話

 
 フリースクール「For Life」の中林和子と申します。「For Life」は1998年、兵庫県神戸市で開設され、現在も神戸市で活動をしています。私自身は、95年・阪神大震災の余波を受け、広域通信制高校の閉校が相次ぐなかで、フリースクールの存在を知り、「明石フリースクール」(現・神戸フリースクール)のスタッフになったのが始まりです。その「明石フリースクール」の移転を機に、新しいフリースクールの立ち上げを考えましたが、当初から困難が続きました。というのも97年に神戸連続児童殺傷事件が起き、加害少年が不登校と関連づけられるような報道が相次ぎ、不登校への差別・偏見がとても強かったからです。
 

場所さえ借りられず

 
 私たちがフリースクールを開設しようとしても、ことごとく「不登校の子は何をするかわからない」と断わられ、最終的には私の自宅を開放してフリースクールを立ち上げました。その後も、フリースクールの子らが地域を歩いているだけで、警察から声をかけられたり、白い眼で見られたり。当時は町内会や交番でフリースクールや不登校についての説明をしてまわることも多かったです。また、教育行政も関西、とくに兵庫県は理解が遅く、その点でも苦労を強いられました。
 
 一方、子どもや親はとても輝いていました。当時は親も子も、学校復帰より「生きていてよかった」「笑顔が増えてよかった」と言う方が多く、不登校の親子にとっての駆け込み寺、逃げ場という機能をはたしていたと思います。その後すぐに、子どもにとってフリースクールは「思いっきり好きなことができる場」になっていきました。親も子もいっしょにフリースクールをつくる、教育をつくっていくという意識が強く、活動もダイナミックに広がっていったと感じています。ですから、子どもたちのニーズにどう応えたのか、と言えば、どんどん広がっていく子どもの興味・関心を、いっしょになって深め、広げていったという状況だったと感じています。


設立当初のフリースクール「For Life」。場所は中村和子さんの自宅
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