連載「渡辺位さんの言葉」


 「強迫神経症のために、手洗いが止められない」「さまざまな行為をくり返して確認しないと気が済まない」という息子を見ていて、私はどうしたらこれらのことを止められるようになるのだろう、と涙とため息の毎日を送っていた。そういう日々のなかで、息子は「死にたい、死にたい」と言うようになっていった。
 
 そんななか、親ゼミに参加する機会を得て、ワラにもすがる思いで参加するようになった。
 
 何回か参加するうちに、私は「自分の不安な気持ちを解決することばかりを考えていた。『なぜ? どうしたら?』ということばかりにとらわれていて、息子が『死にたい』とまで苦しんでいることに、想像が及ばなかったのだ」と気づいた。息子のことが気がかりだったのではなく、私自身の「息子を失ったら……」という不安や悲しみを解消したかったのだ。


不登校は文化の森の"入り口” 渡辺位著
 

なぜ「死にたい」と息子は言ったのか

 
 この気づきから、私は次のように考え、そして決心した。「息子は死にたいと思うほど苦しいのだ。だとしたらいつか自死してしまうかもしれない。そうしたら私は自分が狂ってしまうだろう。そうならないために、今日から息子のすべてを受けいれて生きていこう」と。
 
 このとき、どのような日々のすごし方をしたのか、いま思い出してみても特別なことをしたわけではないような気がする。うまく説明できないが、よくいう「腹を決める」というような思いだった。目の前で起きている事柄に右往左往するよりも、私の気持ちの持ち方が大切だったのかもしれない。「生きているだけでいい」と思えた。ほかにはなにも望まなかった。


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