わが家の長男が登校拒否をしたのは一九七八年のころである。転校先の学校に行こうとすると腹痛、頭痛、吐き気をもよおし、休むと元気になり、元気になるから登校を促すと、数日したら、また、前よりもっと体調が悪くなって長く欠席する、という状態をくりかえした。そして、本人が小五になっていた一九八〇年秋、運動会に備える日々を猛烈にがんばって登校し、拒食症にしてしまうという苦い経験をすることになった。さいわい、子どもは、当時児童精神科医師であった渡辺位氏(国立国府台病院勤務)との出会いから元気になり、私も夫も目のウロコをとられ、内なる学校信仰、会社信仰に気づいていくことになる。
625号 2024/5/1
「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…
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