連載「不登校の歴史」


 1999年のサマーヒルスクールIDECのなかで、次の年、どこでIDECを開催するかを決めるミーティングがあった。みな、興味津々で臨んでいる。

 日本の参加者は、「きのくに子どもの村」の堀真一郎さん、フリースクール「野並子どもの村」の加藤邦子さんの姿もあったが、子どもたちは東京シューレのみだった。東京シューレの子たちは、サマーヒルに一週間滞在するあいだに、IDECのおもしろさに魅力を感じ「できたら立候補しよう」という気になっていた。

 会議が始まり、3カ国から名乗りがあった。ひとつは「立候補が重なるならば降りてもよい」との意見だったが、東京シューレとパレスチナの「希望と花の学校」の校長が、はりあう結果になった。パレスチナは「子どもたちがとても熱心だからゆずりましょう。そのかわり次の年には、世界のみなさん、ぜひパレスチナに来てください。それは、パレスチナに平和をもたらすひとつの力になります」と言って、ゆずって下さった。このような経過で、東京シューレが次の2000年第8回大会をひきうけることに決まったのである。

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