今号のインタビューは、漫画家の棚園正一さん。現在、自身の不登校体験を描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』をインターネット上の『WEBコミックアクション』にて連載中だ。不登校体験談など、うかがった。
――『学校へ行けない僕と9人の先生』は棚園さんご自身の不登校体験がベースになっているとうかがいましたが?
そうですね、漫画に出てくるエピソードはすべて僕が体験した実話が元になっています。タイトルにある「9人の先生」というのも、良くも悪くも不登校していた当時に僕が影響を受けた大人を「先生」として数えたら9人いた、ということです。
僕が不登校になったのは、小学1年生のとき。担任の先生から授業中にビンタされたことがきっかけです。それから小学校は行ったり行かなかったりをくり返していて。中学校には、ほとんど行っていません。
――自分の不登校体験をふり返るという作業は、つらくなかったのでしょうか。
漫画では、「不登校した僕が何を考え、どんな気持ちで毎日すごしていたのか」ということを淡々と描くことにこだわっていますが、
この歳になって客観的にふり返ることができるからか、つらいと思ったことはありません。
ただ、現在公開中の第6話からやや方向性が変わります。友だちや両親のことを中心に描いているんですが、それについては、やや心が痛みました。
小学6年生のとき、すごく情緒不安定だった時期があるんです。どんなにがんばってみても勉強がうまくいかずに気持ちばかり焦ってしまって。夜中だろうがお構いなしに寝ている両親をたたき起こして「このままじゃ僕はダメだ、ダメなんだ」って泣きつく日々が続きました。
ある日、父が言ったんです。「育て方をまちがえたな」って。
怒られた記憶がほとんどないぐらい優しい父です。ですから、寝ぼけて発した何気ない一言だったのかもしれませんが、僕には衝撃的でした。だから、欠かせないエピソードとして描きましたが、別に父を恨んでるわけではありません。
――お母さんの対応は?
第1話から両親に連れられて病院に行くシーンがありますが、学校に行けなくなった当初は、とにかく頭痛などの身体症状がひどかったんです。悪い夢も毎日のように見ましたから、母はそんな僕を見ていられなかったんだと思います。
学校に行かず、基本は家を中心にすごしていたわけですが、医師のアドバイスもあったためか、母から「勉強しなさい」とか「家事を手伝いなさい」と言われた記憶はあまりありません。
じゃあ家で何をしていたのかというと、僕は『ドラゴンボール』という漫画が大好きで、毎日のようにイラストを描いてすごしていました。そのことを責められたこともありませんし、いま思えば、絵を描くことを咎められなかったということで、僕自身救われていたように思います。
(C)棚園正一
先生の気づかい 恥ずかしいだけ
――「フツー」と「トクベツ」が作品のキーワードになっているように感じました。
学校に行くのが「フツー」だと思い込んでいたので、行けない僕は「トクベツな存在になってしまった」という不安や焦りといった気持ちをつねに抱えていました。なんであそこまで不安になったのかと言えば、「トクベツ」になった自分の未来がどうなるのか、皆目見当がつかなかったからでしょうね。
学校に行けないとなると、担任やクラスメートが迎えに来てくれたりするわけですが、うれしい気持ちはまったくありませんでした。むしろ、恥ずかしいだけ。いろいろしてくれればくれるほどまわりから浮いてしまって「僕はやっぱりトクベツな存在なんだ」って思ってしまう。本人が一番敏感になってますから、そういう気づかいの雰囲気って、すぐに察しちゃうんです。
(C)棚園正一
――中学については?
中学校に通ったのは、3年生の3学期だけ。何で学校に行ったのかと言えば、漫画がまったく描けなくなったからです。僕は小学生のときから漫画家になると決めていましたから、毎日ひたすら描き続けました。というのも、「フツーのルートを歩んでいない僕は何か別のことで自分自身に価値をつけるしかない」と思い込んで必死だったんです。
14歳のとき、ある賞をいただきましたが、その年齢で描けることなんてかぎられています。そのうち、漫画がまったく描けなくなってしまったんです。漫画が描けないなら、学校に行かなきゃいけないだろうと。でも、積極的な気持ちからの行動ではないので、けっこうしんどかったですね。
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