不登校新聞

248号(2008.8.15)

戦争を生まない社会とは 大田堯さんインタビュー

2014年08月21日 15:34 by 匿名
2014年08月21日 15:34 by 匿名


 63回目の敗戦記念日を迎えた。核兵器廃絶も進まず、アメリカ同時多発テロ以降も「終わりの見えない戦争」をくり返す世界情勢のなか、戦争について、憲法9条について、大田堯さんにお話をうかがった。

――大田さんの戦争体験を教えてください。
 僕が19歳のときに日中戦争が始まり、敗戦後も1年間は捕虜生活を送り、28歳のとき日本に帰国しました。つまり青春期のすべてが戦争中でした。

 あのころの子どもたちは、ほぼ軍国少年でした。しかし、旧制高校の生活のなかで軍部に批判的になりました。僕の上級生のなかには戦争に反対し特別高等警察に追われ、自殺した人もいます。疑問を持つ人がいても、社会全体の動きの前では、どうにもならなかったのが大勢でした。

 僕が徴兵検査を受けたのは1941年の12月8日。太平洋戦争が始まった日です。補充兵でしたが1942年8月に応召、兵営で戦闘訓練を受けます。兵営内ではまったく自由な空間や時間がありません。自由なのはトイレの中だけで、24時間の戦闘体制が敷かれています。ある意味で監視の力は戦地よりも厳しいと言えるでしょう。訓練の原則は、徹底した上意下達。不平、不満はもとより質問することすら許されません。

 魚雷で沈没37時間、漂流


 1942年6月に九州の門司港から輸送船に乗って南方戦線に出発しました。非常に危険な海域で、セレベス海で魚雷を2発受け沈没しました。イカダにぶら下がって37時間後にやっと救出されました。多くの戦友を失いましたが、からくも生き残りました。

 これは僕の体験ですが「国民総動員」という言葉通り、日本全体が兵営状態に陥り、空爆もあって大なり小なり私のような経験を強いられたわけです。とくに沖縄は終戦直前に日本の防波堤となり悲惨な戦場となりました。沖縄はいまでも多数の米軍基地があり、本土の「盾」にされていると言えるでしょう。

――敗戦を機に生まれた日本国憲法についてのお考えは?
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