連載「不登校の歴史」
本紙「不登校新聞」が創刊され、金属バット事件裁判のあった98年は不登校をめぐる状況はどういうようすだったろうか。ちょうど今から10年前ということになる。まず、特徴的だったのは、毎年8月に発表される文部省(当時)の学校基本調査速報で不登校の小中学生数が10万5千人となり、10万人の大台にのったことである。
これは文部大臣をあわてさせ、スクーリング・サポート・プログラム(略してSSP)は民間も対象とする、という方針を打ち出させた。それまで不登校支援に税金を使うといっても、フリースクールや市民活動には、何の援助もなかった。小学生や中学生をという義務教育期間の子どもたちの成長支援を行なっていること、親たちは税金を払い、学校教育費用を負担しているにもかかわらず、いったん不登校となると何の資金的応援なく、フリースクールの費用は親の負担となり、二重払いとなっているのはおかしい、と感じ、要望も出していた。
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