不登校新聞

393号 (2014.9.1)

「死にたい」から元気になるまで 不登校当事者手記

2016年09月05日 16:54 by kito-shin


 私の不登校は小3から始まった。完全に行かなくなるまでは母親と行く行かないでよくもめた。それが終わってからも今度は、みんなが当たり前に行っている学校に行かずにいることへの不安が大きかった。
 
 小5のときに埼玉から神奈川に引っ越してきたことがきっかけでまた学校に行き始めたが、1か月で力尽きた。疲れが出たのかその後しばらくご飯がほとんど喉を通らなかった。そのときは人生で一番、心身ともにまいっていた時期だったように思う。母親に「死にたい」と言ったのもだいたいそのころ。それきり一度も口にしたことはないから、本当にどん底だったと言える。
 
 不登校になった理由はよく分からないが、今考えると「いい子」や「優等生」でいなければというプレッシャーが一番大きかったような気がする。要するに、まじめすぎたのである。つねに完璧でいなければとがんばっていたのがついに限界に達し、まったく学校に行けなくなった。
 

短大に進学 でも最初は…

 
 そんな私だったが、2012年から今年の春に卒業するまで短大に通うことができた。もちろん通い始めるまでは不安もあったが、英語が好きでもっと学びたいという思いもあり、勉強などで充実した時間がすごせると思うとわくわくする気持ちもあった。
 
 だが、いざ始まると、入学式からどんどん友だちの輪を広げていくまわりのスピードに私はついていけず、1年の後期になるまで特定の友だちがまったくいなかった。
 
 そんな悩みを話せるのは母親だけだった。いきなり毎日外に出るようになって体力的にもきつかった私の肩や足をよくマッサージもしてくれたし、短大生活に慣れるまではいろんな面で支えてもらった。
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