私は小学3年から中学3年まで不登校でした。学校ではひどいイジメを受け、家では父親に学校に行かない理由を激しく問い詰められていました。そのためか、家族に「死にたい」「消えたい」という言葉をくり返し言っていました。しかしいまになってふり返ってみると、その言葉の裏に隠されている本当の意味は、「生きていたいからこそ、これ以上、私の存在を否定して苦しめないでよ!」というSOSだったと、思うのです。
私はときどき、親の会などでその言葉の本意を話すことがありますが、「そういうときに命の大切さを教えるのが親の愛情じゃないか」とおっしゃる親御さんもおられます。たしかにそれも親の愛情かも知れませんが、私の経験上、それは子どもをさらに追い詰めてしまい、逆効果しか生みません。
親が感じている不安は、あくまでも、子どもの現状への否定感や将来に対する「親自身の不安」であって、子ども自身が感じている苦しみや不安などとは、大きくズレているのではないでしょうか。子どもは、大人の言う「命の大切さ」はわかっているけれども、生きているのがつらすぎて「死にたい」という言葉でしか、その苦しみを表現できないほどにまで苦しんでいることに、気づいてほしいと思うのです。
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