5月、チェ・ゲバラ(メモ参照)の娘・アレイダ・ゲバラさんが日本に初来日した。来日は、アテナ・ジャパンやキューバ友好円卓会議など、市民が実行委員会を組んで実現した。5月17日の東京講演会では450名が参加。アレイダ・ゲバラさんは、キューバの歴史を追いながら、医療状況やアメリカの経済封鎖について、話された。講演の抄録を掲載する。
こんにちは。今日はこんなにたくさんの人が来ていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。今日はたくさんお話したいことがあります。でも……いつも時間はありません(笑)。まずは大急ぎでキューバの歴史をふり返りつつ、教育と医療について触れたいと思います。
キューバにとって大きな社会的変化といえばキューバ革命です。キューバ革命が起きたのは1959年1月1日。この日以来、キューバは革命を続けています。
革命以前、国内の医療は皆無に等しかったと言えます。医師の数は人口500万人に対し6000人しかいませんでした。しかもその半数が都心におり、乳児死亡率は0・6%でした。また、教育も充分ではなく識字率は33%でした。
こうした現状は米国による支配政治が影響していました。1902年、キューバはスペインから独立しましたが、独立の際に介入を許した米国に、その後支配されることになります。米国はキューバ国内に2万ヘクタールもの土地を独占していました。また、製糖業、乳工業、石油業、それに銀行や電話会社などが米国企業の進出によって事実上独占されていたのです。とくに1952年のクーデター以後、支配政治は顕著になりました。もうキューバの人は生きていけない」、そういう機運が高まっての革命だったのです。
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