「他人の目を見て話すのが苦手なんだけど……」、不登校・ひきこもり経験者たちの子ども若者編集会議でのそんなつぶやきから、「俺も俺も」「目を見て話しなさいって言われたくないよね」と話題が広がった。今回は3人のメンバーに自分はどうしているのか、どう考えているのかを執筆してもらった。
目を合わせるとなぜか罪悪感に
人の目を見て話すのが苦手だ。というより、人の目を見て話してくる人が苦手だ。
たいていの場合、おたがいが目を合わせて話す場面なんて少ない。こちらもそのほうが楽だし、気軽に話せる。でも20人に一人くらいいるんだ。こちらの目をじっと見ながら話してくる人が……。
やめてください。あなたにとっては、それが当たり前のコミュニケーションかもしれない。けどこっちは、いかにもあなたが正しいんじゃないかという気がして、オドオドしながらしゃべるハメになる。自分のなかの罪悪感のようなものが呼び起こされてくるんだ。人の目を見て話すべき、という根拠のない道徳(?)のせいで、あなたが正義で、私が悪、みたいな。
でも冷静に考えれば、私が悪いとは思えない。むしろ目を見てくる人に対して「あなたは自分自身になんら恥じるところがないのか?」と逆に問い詰めたくなる。
目を合わせたいコミュニケーション強者のみなさんには悪いけれど、私はこれからも目をそらし続ける。(茂手木涼岳・33歳)
"ふつうの人”は、あまり見ずに
「人の目を見て話しましょう」、担任の先生にそう言われた小学校低学年のころから、人の目を見て話すのは苦手だった。まず自分の話すことが「退屈ではないか」「おかしなことを言ってないか」が気になり、さらに恥ずかしくて赤面してないか気になり目が合わせられなくなる。そこで、じっと見つめていれば相手は困惑するし、かと言って目をそらし続ければ挙動不審と思われるのではないか、と正解がわからずに20年近く悩み混乱していた。
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