水俣病は1956年5月1日に公式確認された公害。水俣病は感覚障害や視覚障害などの症状が現れ、劇症の場合は数日で死に至ったほか、胎内で汚染される「胎児性水俣病」もある。
水俣病の原因はチッソ株式会社(1908年創立)の工場排水に含まれる有機水銀。有機水銀は塩化ビニールを柔らかくする原料の一つ(アセトアルデヒド)の生産過程で副生され、チッソは市場占有率の7割を占めていた。
公式確認後も、化学工業界、通産省はチッソを擁護。チッソが水俣市内に巨大な経済効果を産んでいたため、市民もチッソを擁護した。
1973年、患者側が全面訴訟した第一次水俣病訴訟後、認定患者への「補償協定」が締結された。しかし、患者かどうかを判断する「認定基準」の正当性をめぐり、現在も論争が続いている。2004年、チッソ水俣病関西訴訟で最高裁が行政の責任を認定。また事実上、現行の認定基準を誤りとする判断を示した。
現在も1000人以上の被害者が国家賠償を求める裁判を起こしているなど、いまだ問題の終結は見えていない。
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