不登校新聞

241号(2008.5.1)

石牟礼道子さんに聞く

2014年10月09日 14:58 by 匿名
2014年10月09日 14:58 by 匿名


 1950年代、高度経済成長を前に誰もが「経済発展」を期待するなか、公害「水俣病」(メモ参照)は生まれた。その発見は56年5月1日。しかし、もの・金優先の社会が追い求められ、そのための「人づくり政策」は子どもを苦しめ、70年代より不登校が急増した。不登校もまた、子どもの命の叫びと言える。今日、本紙は創刊10周年を迎える。創刊日は奇しくも5月1日。水俣を通し、戦後ずっと深い眼差しで、命を見つめてこられた石牟礼道子さんにお話をうかがった。

――水俣病公式確認から50年。いまの思いを聞かせてください。
 50年間という時間は、とても長い時間です。家族のなかに子が産まれ、孫も産まれる時間。その間に多くの親戚もできることでしょう。水俣市では家族や親戚のうちの誰かが水俣病患者です。国から認定されていない未認定患者をふくめれば、水俣病患者は3万人以上だと言われています。

 こうした状況でも、まだ国は極力、患者を認定しません。本当になんということか、と言いたくなります。

 50年間をふり返れば、水俣だけでなく日本の社会は、人間がふつうに生きていけない状況になってきました。水俣病の進行と日本のモラルの低下は同時進行しているように思われます。そういう意味で言えば、いまの社会システムにのらない不登校は健全ですね(笑)。

――不登校と水俣病は問題の底を流れているものが同じように感じます。
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