本紙通信員 谷口由美子
その名も不登校新聞!
いまはFonteですが、えらくストレートなネーミングで始まったのがもう10年も前とは、感慨深いです。
不登校新聞は、少数派の立場からの発信に価値があります。親の会も全国的に参加者が減っているということも本紙で知りました。
自分の関わる会でも解散を考えるときもあるのですが、本紙で知るさまざまな情報にも後押しをされてきました。
学校復帰策やスクールカウンセラーなどに巨額の予算がつくようになったことなど、一般紙では知りえないことを発信していることにも価値があります。
どう考えても、いまの学校制度に問題があるとしか思えないのに、学校復帰に予算をつぎ込む文科省に疑問を禁じ得ません。
なぜ、子どもたちや親を「日本製の学校」という鎖でがんじがらめにしたいのか、そんなことをずっと考えてきた10年でもあります。
この10年、ブレない姿勢で不登校をひとつの生き方として発信してきたFonteの姿勢には支えられてきました。これからもいろいろな人がいろいろな生き方をしていることを伝える媒体として、さらなる発展を願っています。
1号からの読者 魚返春枝
『Fonte』は、「不登校を中心テーマに据えた日本で初めての新聞」と注目されて創刊されたのが1998年の5月でしたね。発刊からもう10年とは! 本当におめでとうございます。
じつは私も内心いつまで続けられるのか心配したこともありましたが、編集スタッフ、発送のお手伝いの方々、購読者など、大勢のみなさまのおかげです。感謝しています。
この新聞の特徴は何か。それは、すべての記事が子どもたちを中心として「当事者の立場に寄り添っている」ということでしょう。
事件の扱いかた、悩み相談への応え、親の体験談など、どれもが悩める人たちへの救いになっていて、もちろん私も本紙に助けられた一人です。
インターネットが普及し、手軽に情報が得られるなか、また「活字離れ」が叫ばれる現代社会において、発行部数が低迷しているとのこと。
なかなか難しい面もあるでしょうが、ぜひ継続されることを願っています。今後も一読者として、私も微力ながらお手伝いしたいと思っています。
人材育成コンサルタント 辛淑玉
テレビのニュースを見ていると、「いじめ」で、その、やわらかい心が破壊尽くされた子どもたちの犯罪が目につく。「加害者」になるまでのあいだ、彼らを少しでも支えてくれる人はいなかったのか、と胸がかきむしられる。
苦しい空間のなかで、じっと耐え、そしてひたすら自分を殺すことで生き抜いてきた子どもたちの多さを知っている。家や、学校や、地域社会のどこにも居場所を探せなかった子どもは、心許せる友と出会うこともなく、声を挙げることもできなかった。
フリースクールは、既存の体制の補完でも、予備校でもない。学ぶこと、出会うことをもとめた子どもたちの梁山泊であった。そのわずかな人生のすべての力を振り絞り、社会の常識や、抑圧や、偏見、差別に対して、NOといい、自分の人生にYESと言った。彼らのメディアが「不登校新聞」である。弱いとされたものたちが、国家の教育制度と向き合い、そして、良心ある大人たちが、それに続いた。
『Fonte』と名称が変わったが、日本社会で最も過激なレジスタンス新聞が、10年も続いたのは、闘い続けることを決意した若者たちの思いの大きさだ。そこに未来がある。
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