――まずは、この10年についての概観を、奥地さんからお聞きしたいのですが。
奥地圭子 10年前は、すでに子どもにとって生きづらい社会で、その苦しさを表すように、いろんな事件が起きていました。本紙創刊のきっかけも、夏休み明けに子どもの自殺や学校への放火といった事件が続発したことでした。
この10年をふり返ると、不登校への対応はソフトにはなりましたが、根本の認識は変わってないと思います。90年代半ばから、文部省は不登校対策に膨大な予算を投じます。スクールカウンセラーの配置や適応指導教室の設置など、いずれもソフト化はしながらも、実際上は学校復帰策です。文科省が2003年に出した不登校政策に関する報告書も、一見、ものわかりのいいようなことを言いながら、結局は「何らかの働きかけを」という学校復帰強化が主軸でした。
現場感覚としても、時期を同じくして登校圧力が強まったように思います。そういうなかで、不登校の数が微減するわけですが、私は、この無理は続かないだろうと思っていました。実際、去年は再び増加に転じましたよね。
また、教育基本法改正の動きや教育再生会議のように、上からの圧力も目立ってきた10年でした。そこで言われているのは、お国のための人づくりです。一人ひとりの人権を保障するという考えではない。子どもたちは、そういうストレス度の高い状況に置かれている。
加えて、格差社会が進むなかで、ニートやひきこもりが問題化された。ひきこもりなんて昔からあって、不登校は「閉じこもり」だったんです。それをあえて問題化する流れが強まった。かたや雇用状況をみても、非正規雇用が増えて不安定化しているのに、個人が悪いような言い方をされ、ニートが問題化された。しかも、そういう若い人の苦しい状況をつかまえて、「不登校しているとひきこもりやニート、フリーターになる」という不安が醸し出されたように思います。
市民活動のポイントとしては、NPO化があります。98年にNPO法が施行されて、ほかの市民活動もNPO化することで、行政との連携ができるようになりました。ちょうど90年代は不登校の市民活動には勢いがあったんですね。それが土台となって、2000年代から不登校の市民活動も行政との連携が進んだわけです。
しかし、その一方で、元気な不登校と、すごく苦しい不登校とが二分化されていったように思います。苦しい場合は医療機関にかかる人が増えて、「発達障害」と診断される子も増えました。子どもを受けいれるより、子どもが分けられてしまっているように思います。
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