不登校の継続理由第1位は「子ども本人の無気力」との調査結果を受け、本紙394号にて記事を書きました。この件について、福島県会津若松市で活動するフリースクール「寺子屋方丈舎」の代表・江川和弥さんに執筆いただいた。(東京編集局・石井志昂)
私自身の高校中退経験を通じてですが、不登校の理由として「無気力」があげられていることの違和感は、たしかにあります。
しかし、自分自身も、状態として、無気力であったことは認めます。まわりが自分の言葉に耳を傾けないときに、あえて何を言ってもムダであることを感じておりました。「えん罪」でつかまった被疑者のようでもあります。いくら反論をしてもまわりは意見には耳を傾けるどころか、はじめから否定をして説得しようとしています。
その態度は、学校に行かない人間の言うことを聞くことが無意味だと言っているようです。このラベリングを自分ではがすことは容易ではありません。ときに子どもはあきらめる、その状態を表現すると「無気力」という言葉がふさわしい。
大人は、子どもが無気力になるまでにどれほどの葛藤や悔しさを経て、そこに行きついているのかについて、あまりに無関心です。上から下への視線で威圧され、反論を許されなければ、人は容易に自暴自棄にでも、無気力にでもなります。
教育好きの大人たちは、子どもに反省を求めるのが大好きです。子どもが懺悔するさまを、自我を崩壊させるさまを見るのが好きです。学校に行かない子どもは、なにも悪いことをしていません。自分の学歴(学校歴)を多少汚しているだけです。
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